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75.文字ぎらい

ぼくはもともと文字ぎらいであった。幼少のころはいわゆる知恵遅れというやつで、同い年のやつらが歌っているころでも、言葉が満足に出てこない状態であった。小学校になってからもその差は縮まらず、みなが漢字で自分の名前を書いているのに、ぼくはいつまでたっても、ひらがなしか書けなかった。

習字の時間はまさに地獄であった。左利きの私に、先生はむりやり右で書かせようとする。それも無理はない。漢字はもともと左手で書くようにはできていない。もっと大胆にいえば、左利きのヤツは文字を書くな、と文字そのものがケンカを売っているようにみえた。文字はつねに、劣等感の対象そのものであった。

高学年になっても、みなが授業をしているときに、ぼくは机を離され、バケツに水を汲んでは風景画を描いていた。クラスのみんなが国語の授業をしているとき、水を汲むためにクラスメートたちの前を横切っていた。(2004.01.21記)

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