真の余暇—魂の憩いといってもいいが—は、まさに労働の最中にこそ芽生えるというプロテスタンティズムのごとき強者もいる。ヒルティの仕事論の根幹をなすものもまさしくこれだ。
人間の本性は働くようにできている。だから、それを勝手に変えようとすれば、手ひどく復讐される。もちろん人間は、とうの昔に休息の楽園から追放されている、神は働くことを人間に命じたが、しかしまた否応ない働きにともなう慰めをも与えてくださった。だから、本当の休息はただ活動のさなかにのみあるのである。....この世の最大の不幸は、仕事を持たず、したがって一生の終わりにその成果を見ることのない生活である、それゆえ、この世には労働の権利というものがあり、また、なければならないわけだ。
ヒルティ著『幸福論 (第1部) 』P15 岩波文庫
もし古代ギリシア人が「労働の権利」などという言葉を聞いたらビックリするであろう。『働かないことのススメ』の著者ゼリンスキーは、なぜ人類がスコラ的な価値を知りながらもプロテスタンティズムという間違った選択をなしたのかという率直な疑問を投げかけている。
身を粉にして働くのがそれほど尊くて崇高な行為だと思うなら
発展途上国のどこかの炭坑で
一日十四時間労働を体験してきたらどうか?
ゼリンスキー著『ナマケモノでも「幸せなお金持ち」になれる本 』P73 英治出版
プロテスタンティズムがいまだに世界経済を動かしていることには疑問の余地がない。我々の誰もが、週日40時間労働を当然のものと信じて疑わないが、なぜそうしなければならないかについて確固たる理屈づけができる人は希であろう。いわんや余暇などなおさらである。





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