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働くこと

GWは帰省してサクラでも愛でようとおもっていたら、シゴトが山積しあえなく撃沈。カアチャンの手作り料理を心ゆくまで堪能するという目論見はあえなくついえてしまった。結局いつもの定食屋でいつものメシ(野菜炒め+アジフライ+オシンコ+みそ汁)を食する毎日。

しかし、ここのご夫婦はよく働く。朝は5時ころから開けているし、夜は8時ころまで明かりがついている。こんなに通いつめていながら今日はじめて気づいたのだが、壁に飾ってあるご主人の調理師免状には昭和13年生とあるから、お二人とも六十路はゆうにこえている計算になる。常連さんならば、おそらく「ええっ?」と誰しも似たような反応をかえすのではないか。それくらいご夫婦はほんとうにお若い。

「働く」ということが生きがいであり、そこになんの見栄も矛盾もないという人間は、見た目にもなるほど凛としたものがある。たいてい、彼らは年齢よりも若々しいから、はたからみてもすぐそれとわかるものだし、本人はより直感的に感じているはずである。何より、自分の居場所があり、誰かの役に立っているという感覚だけで十分であろう。

一方、「働く」ということ、「がんばる」ということになんの価値もみいだせない若者も多い。彼らは、がんばれないというより、「何のために?」という問いが先にきてしまい、がんばるまえに醒めてしまうのである。

戦後日本の幸福像というものは、極端にいうと「がんばって働けば幸せになれる」だったと思う。ハリウッド映画のワンシーンのように、庭付きの一軒家にクルマをつけ、冷蔵庫にはフルーツが冷えているような生活が、働けば手に入ると誰でも夢見たし、そのパワーが現在の日本をつくったことはたしかである。つまり、わしらの親の世代は、彼らがこうと思っていた幸福像をいちおう達成したといえるのだが、残念ながら今の世代はそうではない。

いまの人は、戦後すぐとちがって、毎晩コメのメシが食えることくらいで幸福感をおぼえることはできない。身を粉にして働けば、なにかいいことがあるとも思ってはいない。ピューリタン的な労働倫理がちかごろ目に見えて批判の対象になってきたのは、やはり世代を反映してのことであろう。

「これが人の幸福だ」という共通認識のまったく欠けた現代においては、自分の幸せが何であるかを、自分で見つけなくてはいけないという、いささか哲学者じみた作業を誰しもしいられる。自分の幸福は自分しだいというのは、聞こえこそいいけれど、頼りどころのない、いばらの道でもある。

ただし、そこで「働く」ということが、もういちど大きな幸福像を供給するようには思えない。そもそも、毎日働くという生活習慣じたい、欧米流のやり方が入ってきた明治時代以降のものであって、わが国においてはわずか百数十年たらずの「よそもの流」にすぎない。われわれの親の世代がつくりあげた価値観に闇雲にしたがう理由もまた、まったくない。

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