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形而上的無国籍者

p11
シオラン 私の理解がまちがっていなければ、あなたのお訪ねは、もの欲しそうに沈黙の回りをうろうろせずに、なぜあっさり沈黙を選ばなかったのかということでですね。そして、口をつぐんだほうがいいのに、私が嘆き節をたれ流しているといって避難なさる。まず言っておきますが、人はだれもが夭折の幸運に恵まれているわけではないんですよ。

私は私の最初の本を、二度と再び書くような真似はしまいと誓いながら、二十一歳のときルーマニア語で書きました。ついでまた同じ誓いを立てながら、また同じ愚を犯しました。

喜劇は四十年以上にわたって繰り返された。なぜか。書くことは、それがどんなに取るに足らないものでも、一年また一年と生きながらえる助けになったからですし、さまざまの妄執も表現されてしまえば弱められ、ほとんど克服されてしまうからです。

紙を汚すことがなかったら、私は、とっくの昔に自殺していたと思いますよ。書くことは途方もない救いです。本を出すこともね。バカげていると思われるかも知れないけど、ほんとうなんです。なぜかというと、一冊の本、それは私たちにとって外的なものとなった生であり、生の一部だからですよ。自分の愛するものにも憎んでいるものにも、同時にきれいさっぱり縁が切れる。もっと極端なことを言えば、もし書かなかったら、私は人殺しになっていたかもしれませんよ。

表現とは解放です。あなたが誰かを憎んでいて、そいつを厄介払いしたいと思っているなら、こうやってみてはどうでしょうか。つまり、一枚の紙を取り上げ、そこにXのバカ野郎、悪党め、人でなし、怪物めと書きつける。そうすれば、憎しみがやわらいだことにすぐ気づきますよ。私が自分自身にたいしてやってきたのはまさにこういうことです。

私は生を、そして私自身を罵倒するために書きました。その結果ですって? 自分自身の存在によりよく耐え、生によりよく耐えることができました。
p23

でも、もし私がほんとうの懐疑家なら、破局を確信するわけにいかないのだから、まあ、破局をほとんど確信している、としておきましょう! 私があらゆる国、あらゆる集団から切り離されていると思っているのはこのためです。

私は形而上的無国籍者。この点で、ローマ帝国末期のストア学派の哲学者にいささか似ていますが、彼らは自分を「世界市民」であると思っていた。ということは、彼らはどこの市民でもなかったということですよ。

シオラン著 金井 祐訳『シオラン対談集』 法政大学出版局 叢書ウニベルシタス586

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