善人の苦しみを是認するために最も簡単で正しい言葉は、善人が苦しみによってさらにすぐれた者となる、ということである。
彼らは、幸福な人々をたえず低俗にしがちな事物への執着から離れ、ほんとうに確実な宝をいっそう大事にするようになり、同じように苦しんでいる他人への同情を増し、自分の財産や生命さえも失うことを恐れなくなる。
かつて苦しんだこともなく、苦しみを理解しない人間は、だれもそのようなことはできない。
そうした人々は、ある種の凡庸さから抜けきれず(*)、決して神を完全に知ることもできないし、苦しみに対する恐怖からのがれられない。しかもこの恐怖が、この世における善の最大の障害なのである。
(*)すぐれた文学、同様にまた、ほんものの芸術はすべて、苦悩から(情熱ではなく)生まれる。苦悩がなければ、深さを欠くことになる。同じように政治も、人生の明るい面だけしか知らない人たちの手で行われるときは、みじめな職業である。
およそ苦しみなしに真に力づよい生活を送ることは、まったく不可能である。
親愛なる読者よ、そうした力強い生活か、それとも希望のない凡庸さか、どちらかを選びたまえ。
ヒルティ『幸福論(第三部)』p130 岩波文庫
柳原和子さんは、多くのがん患者が敗北感を持っていることに疑念を掲げ、病をもたない人間よりもむしろ成長した存在だ、というエッセイを書かれています。
「私たちは見た。あんたたちより2つ、多く見たんだ」と、考え方を移動することによって、生のプログラムがまったく変えられるんです。「がん患者は新しき人々なんだ。成長した人々なんだ」というのは、こういう意味です。





コメントする