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まなび病

真向かいのIさんが退院することになった。

一週間ほど前、急患としてかつぎこまれたときは、目眩のため頭を起こすこともできず、点滴や尿袋のチューブにつながれ寝たきりだったのが、その後みるみる良くなり、メシは完食するし、トイレは行くし、今では看護師にツッコミをいれるほど回復した。今日はこっちまでつかまってしまい、身の上ばなしをさんざんきかされるハメになった。

Iさんは、絵を描くのが生きがいだそうで、20年前に脳梗塞で寝たきりになったときは、絵筆をとれない悔しさにほとんど廃人同然になったそうだ。それからリハビリに励み、日常生活ができるところまで回復した。もちろん、絵も描くことができるようになった。それが先日、お風呂でとつぜん倒れてしまった。

「あなたは、明るい人だなあ。いつも誰とでも話をしてるし、しかも話すことに幅がある。いったいどんな仕事をしてきたんだ?」

と、Iさんはヘラヘラ笑いながらいう。

昼をすぎに家族が向かえに来たので、車椅子に移ったIさんは、相部屋の人たちに挨拶をしてまわった。最後にわしの前にくると、それまで奥さんまかせにしていた粗品の配布をとめ、まだ自由のきかない体で直に手渡ししてくださった。

それまでヘラヘラしっぱなしだったのが急に真顔になったので、こっちも緊張してしまい、「校長先生から卒業証書を受けとるの図」になってしまった。そして、去り際にひとこと「けっぱれ!(*)」といって部屋を出ていった。

このときのIさんは、正直怖かった。それは、Iさんが何をいわんとしていたかを、すぐさま了解してしまったからである。

Iさんは、いつもヘラヘラしながらも、わしの皮相な、うすっぺらな、お調子者ぶりを見透かしていたのではないだろうか。他人の話に上っ面だけあわせ、知識をひけらかすだけで、自分がどう思うかは何もいわない。浅薄さばかりが鼻につき、人生の深みに欠けている。結局のところ、あなたは何ものでもない。そして、何ものかになる勝負からずっと逃亡してきたということを。

しかし、今回ばかりは、逃げも隠れもできない「あるもの」が数ヶ月後に必ずやってくる。それを行った三人のうち二人は死亡するというものが。Iさんのひとことは、その覚悟を要求するものだったのではないか。仮にそうでなかったとしても、わしにとっては重いことばとして残響した。


願わくば、この病がたんなる衰弱や死骸におわらず、「まなび病」として生かされんことを。
「深みのあるお調子者」となれますように。Iさんのように。


(*)「がんばれ」の意。

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