青島幸夫さんが骨髄異形成症候群で亡くなった。享年74歳。おそらく入院時にはすでに手遅れだったのでしょう、とM医師は話していた。輸血による対処療法しか手がなかったにちがいない。
カンニングの中島忠幸さんは急性リンパ性白血病であった。骨髄移植後の合併症(肺炎)で亡くなった。おそらくGVHDがらみであろう。享年35歳。若すぎる死である。
そして岸田今日子さん。赤坂に勤めていたころ、よく帰りの坂道ですれちがったことを思い出す。
こんなニュースが続いたせいで昨日は朝から憂鬱だった。とくに自分より若い人が死ぬのは辛い。でも「他人は他人だし。自分は自分でがんばります」と先生に話して心を落ち着かせた。
夕方、姉が着替えをもってきてくれたが、話題がついそこにいってしまう。
「あんたも自分でなんとかしようって入院ごと遅らせてれば、今ごろもうこの世にいないんだよ」とズバリ言われた。そう、そうなんだ。骨髄異形成症候群は手遅れになるともう治療の手だてがないんだ。そして死ぬしかないんだ。
このことをハッキリと意識したのは、11月のはじめである。白血球の減少が止まらなくなり、輸血だけが頼りとなった。でも感染して熱を出したりもなく、自分ではまだまだいけるという気持ちで毎日を送っていた。
ところが部長回診のとき、T部長が心ない一言を漏らしてはじめて現実を知らされた。「移植まで死なないようになんとか持たせる」とついポロっと本音を出してしまったのである。この瞬間ハッキリと死を身近にかんじた。隣にいたK先生はヤバイ!って思ったのか、「重い感染症にならなくて良かったね」とフォローしてくれた。
今から思うと、あのころ平静を装って接してくれた先生方も、心の内はハラハラだったにちがいない。「化学療法が効かなかったばあい、残された時間は6ヶ月」と言われた日から、確実にタイムリミットが近づいていたのだ。もしドナーさんが見つかってなかったら? たまにそれを考えると、己の幸運に感謝しベッドのなかで打ち震えるのである。
さて、もう過去は振り返るまい。何の縁あってか、私は東京からこの病院に導かれた。そして生かしてもらった。だから身が朽ちるまでとにかく今日を生き続けよう。
Run & Run 冒険Dreamer イチかバチかなら 前だけ見ればいい自分の道を 自分の未来を 悩まないで 止まらないで 心のまま進め Let's go!
Treasure Roard つかみとれ My Way
一秒も無駄にできないこの気持ち 仲間たち 続く道 未来へ(ボウケンジャー・エンディングテーマより)





生きていることは、生かされていること。 高2の時、バスの後ろから出かけて、見えなかった対向車に自転車の前輪をとられて、あやうかったことがあります。 バスは発車し、運転手が心配してくれた。一応無事だった。誰もいなくなった道路で、呆然として秋の高い青空を仰ぎ涙が止まらなかった。それ以来事ある毎に、「生かされている」事を思う。1日1日。今日がある。そして明日もあるよ。