わかりやすいように並べてみました(クリックで拡大)。
左が3月1日、右が4月25日の胸部CT画像です。画像下の両側がちょうど肺の最下部です(上部の白いのは臓器)。炎症で真っ白だった箇所が良くなっているのがわかるでしょうか? ちなみに筋状に光っているのは血管です。
「すごい良くなってるよ。びっくりした。肺はもう回復期に移行したみたいなんで、ステロイドも5月中旬までには退院できる量まで減らしていきます(=退院ではないのがビミョー)。サイトメガロウィルスがまたちょっと出てますが、ステロイド減らせば消えますんでー」
3月中は回診時も渋い表情の日が続いたのですが、ちかごろはまたO先生ならではの強気なコメントがもどってきた。それだけ楽観視できない状態だったということでしょう。
「あのう、ステロイド減ったら、売店いってもいいっスか?」
「人があまりいない時間帯なら行ってもいいと思うよー」
「外来食堂は...(ラーメンたべたい)」
「ううーん」
「外来患者が来ない土日だけとかでもいいんで(GWねらい)」
「うんうん、ぼくは別にいいと思うよ」
これでちょっとはガス抜きができそうだ。病棟内の廊下をラットレースみたいにグルグル回ってばかりじゃ気が狂ってしまう。花見はあきらめたけど、5月になったらせめて院内くらいは動きたい。
ほんとうは4階のA主任に会いに行きたいのだが、小児科はインフルエンザがやっと収束したばかりだから来るなと本人から聞いているのでガマンしよう。
よく考えるとオレはいい先生に巡り会えたよな。メモリースティックでCT画像を気軽にくれたりするんだから。毎日ほとんど寝てないはずなのに頭が下がります。彼のおかげで4度目の死地をなんとか脱することができた。ありがとう。
いつも応援してくれているみなさんにこの画像を捧げます。よいGWを。
はじめまして。骨髄移植で 検索していたら こちらへたどり着きました。来年成人式を迎える娘が 中学のとき急性リンパ性白血病と言う病名をいただいてから闘病中の2年母として 何もしてあげられない ただただ 『どうしよう』
その後
『手当たり次第』
時々『成るようになる』 だれひとり身内のいない浜松で母子4人で 生活していた私にできること やれることは 全て手当たり次第
何より 辛かったのは『病気を立てに 色々なことから 逃げていた子供の姿』を見た時病院中がひっくり返る程 しかったことも ありました。 残念ですけど、病気を抱えた本人の 全てを理解することはできませんが、 この闘病生活で もう一つ上の自分を見つけてくださること 祈っております。 ちなみに彼女は現在医系の大学にて 頑張っています。
伊達藩の人間なので 言葉がきつく 感じられたら ごめんなさい私事が 多かったねm(__)m