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私らは人生に仮縫いされているだけだ

...一世紀近くの歳月をかけて成し遂げられた探求の結果、グレゴリオ聖歌は、当初これらの旋律を生み出した人びとが思い描いたに違いない形にまで再復元されることとなった。

古い時代の記譜法がそれなりに行きとどいたものであったことも、同時に証明されたのである。写本の大部分に添えられたネウマは<イン・カンポ・アペルト(野放し)>すなわち音高を示す横線や音部記号を持たない方法によるものである。

こうした記譜法では、口伝が後世にまで伝わっていくのでないかぎり、旋律はわからなくなってしまう。しかしその代わりに、リズムおよび表情づけに関しては、ネウマ記譜法は豊かなデータを提供してくれる。じつは、後世の角型の音符による記譜法、さらには現代の記譜法ですら、充分には表し得ないほど複雑な指示を、それら古い写本に記されたネウマは秘めていたのである。

この意味から言えば、旋律というものを(音楽に不可欠の中心としてではなく)ひとつの素材として捉える態度において、現代の前衛的作曲家たちのほうが、ロマン派の人びとよりは中世の音楽家たちに近いかもしれない。

当ディスクの演唱者たちは、大切なこととして記しておきたいが、けっして職業的音楽家たちではなく、たんなる一介の修道士たちである。誰もステージで歌うための教育を受けたわけではなく、ただ合唱団員として指導されてきただけである。

また、この録音は、彼らが日常に歌うところをそのまま忠実に記録しようという意図に立つもので、レコード録音につきものの細工、仕掛けはいっさい避けられている。より綺麗に洗練された音を求めようとは、私たちは考えなかった。

ただこうしてのみ、私たちが親しんできた古い聖歌に秘められた無限の色合いを、そして込められた魂の熱さを伝えることができると信じたゆえである。

われら、死への道程の半ばに
グレゴリオ聖歌中でも最も広く知られた、同時に最も高い霊感をおびたもののひとつである。中世には、この歌は教会内のほか、どこで、いつを問わず、人生のあらゆる危機、苦難にさいして歌われた...

...果たして正しいかどうかわからないが、この作曲はサンクト・ガレンの吃り(どもり)の修道士ノトケロ(840-912)だと言われる。伝承によれば、音楽をよくしたこの修道士は、人生の重荷をにない死を紛れもないものと感じていたある日、スイス北部の緑の牧草地に働く一人の農夫が、深い谷の上に橋をかける仕事に命をかける様子を目にした。

この情景から生に対する無限の望みを実感したノトケロは、思わず「われわれは生と死のはざまにいるのだ」と叫んだ(「私らは人生に仮縫いされているだけだ」と、幾世紀ものちの文人ラモン・ゴメス・デ・ラ・セルナなら言ったであろう)。

イスマエル・フェルナンデス・デ・ラ・クエスタ(訳:濱田滋郎)
グレゴリアン・チャント」ライナーノーツより

※エレクトロニカや音響派との親和性も高いと思う

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