オリッサ州の東端に、ベンガル湾の風もさわやかなプリーという観光地がある。ここをぼくらは「うんこビーチ」と呼んでいた。インドの民衆はトイレをもたない。逆にいうと、自分んち以外はどこだってトイレになりうる。プリーの漁民にとってベンガル湾とは、世界一大きい水洗便所のことなのだ。朝に昼に、海岸には新鮮な「糞の幸」がうちあげられていた。
宿は「サンタナロッジ」という、ジャーパーニーの溜まり場に舞いこんだ。ここは日本語の達者なトゥンナくんが世話をしてくれ、しかも三食昼寝つき、デザートつきなもんだから、気がついたら半年ほど滞在してしまったという人も多く、いわゆる「沈没」のメッカとなっている。
サンタナロッジのメシには、旅行者を怠惰にさせるヤクが入っている
寄せ書きノオトには、こんな名コピーもあった。たしかにここの自家製シャーベットや、プリンの味は最高である。こんな美味しいドラッグなら、ジャンキーになったって誰も攻められない。
しかし最低なのは、インドのゴキちゃんである。ウィスキーのような茶色で、笹カマのようにデカく、枕元にくるとさすがに怖いものがある。
「トゥンナくーん、でっかいゴキブリがでたよー、トゥンナくーん」
部屋にはいるなり、彼はゴキブリを素手でつかまえると、笑いながらこう言った。
「ダイジョウブゥ。コレ、カマナイカラァ」
いや、そーいう問題じゃねーんだよと思いながらも、心ではまいった、と思った。インドにきて原感覚がどーのとはしゃいでも、こっちはしょせんは喜々として裸足になるくらいだ。ゴキブリとも友達になれないような、アマちゃんである。
サリン疑惑で駆り出されたオウム真理教の信者は、「われわれはゴキブリさえ殺さないのに」と弁明していたが、どうもゴキブリは慈悲の深さをはかる物差しによく使われるようである。「仏教の初歩」で、ひろさちや氏は言う。
「ゴキブリさん、ごめんね。殺させてください」と、涙を流してほしいのです。それが仏教者の態度です
「問題は殺し方です」と氏は主張する。これはいささか偽善めいてはいないか。トゥンナくんのように、ゴキブリを素手でつかまえてしまう感覚のほうが、より不殺生として強力であろう。ゴキブリを殺さない非仏教徒。殺す仏教徒。さて、どちらが仏教者なのだろうか。
ゴキブリが大量発生するような家に住んでいるのなら、むしろ自分のライフスタイルのほうを疑ってみる必要がある。食べ物を平気でポイしていたら、そっちのほうが殺生な行為であろう。アヒンサーとは毎日の実践そのものであり、その場限りの知恵などではない。ゴキブリに「ゴメン」といえるのは、それをやってる人だけだ。
ジャイナは涙も流さないし、ゴキブリも殺さない。それがジャイナ者の態度である。それは仏教者も同じだとぼくは思う。





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