...横書か縦書かについては、伝える内容が同じであるなら、横書のみですませばよいという立場もありうる。とくに、自然科学系の文書(書籍も含む)を作成する場合は、そのように割り切ることは可能である。しかし、日本語の歴史をふまえたとき、横書が普及したのは、明治維新後たかだか百年あまりのこと、さらに限定するなら、第二次世界大戦後五十年まりのことにすぎない。そのように大上段に振りかぶらなくとも、文芸雑誌、週刊誌、文庫、新書、新聞など、今日普通にみられるメディアは大抵縦書であることからも、縦書を軽視できないことはあきらかである。(P3)
縦書派にとっては、自分が作成できる文書の形態(横書)と、流通ルートから入手する本の形態(縦書)が違うわけである。どうしても縦書の文書を作成しなければならないときに、十分な機能をもったソフトウェアがない場合、いったいどうすればよいのだろうか。縦書がソフトウェアの進歩の埒外にあるというのは、不当な扱いであった。かくして縦書派には、「十分な縦書文書を作成するための道具がない」という欲求不満がたまっていた。(P2)
ここで、既成の書き手は、「原稿を書くだけなのだから、このようにレイアウトまで考える必要はなく、レイアウトは専門の版下作成者に任せておけばよい」と考えるだろう。このようにワープロでできる範囲で原稿を書けばよいとすることは、書き手自身が原稿に指示を書き入れないかぎり、
- 優秀な編集者が原稿を整理して原稿に適切な指示を書き入れること
- 版下作成者が十分な組版の技術をもっていること
が前提になる。この前提は、既成の書き手では満たさせるかもしれないが、多くの人にとっては資金的に高値の花である。たとえば、古典の研究を志す学生が、博士論文をきちんとした形で残したいと希望しても、資金がない限り、編集者や版下作成者に依頼することもできない。(P12)
藤田 眞作『pLaTeX2ε入門・縦横文書術 』 ピアソン・エデュケーション




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