ハンガリーのバンド、KOLINDAのファースト・アルバム「KANTATA」。トラッド・フォークファンにはおなじみの作品だとおもう(クリックで拡大)。
しかし今回とりあげるのはその音楽ではない。このジャケットの作者、ロベール・クートラス(Robert Coutelas)のほうだ。
ぼくはこのジャケットをはじめて見たとき(大学のころか)、ハンガリーの古い民衆絵画をあしらったものと勝手におもいこんでいた。ユーモラスな絵柄もタロット・カードだといえば説明がつくし、虫食いのすすんだ板絵のような質感からしてどうみてもモダンの作品にはみえない。
しかし裏ジャケットに「COUTELAS 1976」の文字を発見したことでワケがわからなくなった。やっと謎がとけたのは、図書館でたまたま手にとった『芸術新潮2003年11月号』に出会ったおかげである。長らく忘却していた「COUTELAS」の、茶目っ気たっぷりの図像が変わらずそこにあった。
ロベール・クートラス略歴
「無神論者の聖人 ロベール・クートラス」と題した5ページを、作家の堀江敏幸さんが回顧的に書いている。これをもとにざっと略歴をこしらえておこう。
1930:パリ・モンパルナスに生まれる
十代は午前中は工場で働き、午後は木彫を習い、夜は地元の美術学校に通っていた。その後、石工の修行をし、ロマネスク教会の修復にたずさわった
1953:23歳。リヨンの美術学校に入学
1958:28歳。パリに上京。オトン・フリーズ賞(?)を受賞し、大手ロマネ画廊と契約
Still life with apples on a green table
1960:画廊との契約を断ち切る
1961:ヴェルセル画廊と契約
1965:35歳。ヴェルセル画廊との契約を断ち切る。以降、確実に売れる印象派の作品を描かなくなったことで極貧となるが、ひたすら孤独な制作に専心する
1976:46歳。KOLINDAのジャケットをてがける
1978-79:トランプのデザインコンクールで一等入選。賞金だけもらって商品化は辞退したらしい
1985:55歳。栄養失調による壊血病により死去。無宗教であったが、彼の友人たちの嘆願によりテチエンヌ教会(Eglise St Etienne du Mont)にしばし安置された
わが闇
「...印象派を思わせる絵には客がつく。アメリカ向けに数をこなさなければならなかったこの時期のクートラスは、進むべき道と現状とのずれにひどく苦しみ、そこから解き放たれるために、また自己を見つめ直すために、深夜、電灯の光のもとで「わが闇」のシリーズを描いたのである...(芸術新潮)」
「毎晩日記をつづるように描きためた」(ギャラリー無境)カルトを、クートラスは六千枚ほど残している。これがジャケットの正体だったわけである。
「寓意と数字の札からなるタロットカードが、組み合わせてはじめて意味をなすのと同様に、クートラスのカルトもさまざまな絵柄をつなげて互いが互いを引き合い、撥ね合ってこそ魅力を発揮するのである。じじつ彼は、色やモチーフのみならず、それぞれの絵の間隔をふくめた配列を徹底的に考え抜いたうえで二十枚ほどのコンポジションとして貼りあわせ、みずから額装したものを作品として売っていた。(同)」
彼がどういった経緯でレコード・ジャケットを手がけたのかは定かでないが、おそらくその生活苦を心配した友人たちが仕事をもちかけたのではないかとぼくはおもう。または、タイトルや曲名リスト、クレジットまでも任せるというこの全幅の信頼ぶりに着眼するならば、仏Hexagoneレーベルのプロデューサーがクートラスの信奉者だったのかもしれない。
ArtempoとAnonymous
縦12センチ、横6センチ。厚紙に壁面用の塗料を下塗りしてつくった自家製キャンバス。厚紙の素材にはテッシュペーパーの箱やなんでも屋が配った客寄せカードなどだった。
堀江敏幸さんは「経済状況が余儀なく選ばせた」と書いているけれど、ぼくはクートラスがむしろ好んでティッシュペーパーの厚紙やチラシに描いていたような気がする。
誰しも小さいころ、画用紙がそばにありながら、あえて日めくりカレンダーの裏や、スーパーのチラシなどに落書きした記憶があるだろう。漂白された上質紙より、そっちのほうが不思議と筆がのるし、紙質の劣悪さが逆に深いマチエールをもたらすからだ。
「重ねたカルトどうしがくっついて表面の色がはがれ、適度に古びた質感が出てくるのをクートラスは好んだ。場合によってはわざと表面を床にこすりつけて傷をつくっていたらしい...」
このくだりにはっきりと彼のArtempoな感性があらわれているんじゃないだろうか。さらにくわえるなら、クートラスのカルトには、アノニマス、つまり作者不詳であることにたいする強い憧れが感じられる。
これはロマネスク教会の修復にたずさわった経験が大きく影響したのだとおもう。ロマネスクのもつ絶対的な無名性が、画家としてのステイタスをいちおう得たのちも、彼の脳裡からついてはなれなかったにちがいない。近代的な芸術家としての稼げる自己と、名も無きアルチザンでありたしという自己とのあいだの葛藤が「わが闇」を産み出したのではないだろうか。
ねずみとの信頼関係
「安定した収入を見込める将来を捨てたクートラスの生活ぶりは、あきれるほど貧しかった。長髪にたっぷりした口ひげをはやした、東欧の修道士かと見まがうこの貧相な外見...(同)」
「...そういうきびしさのなかに、ちょっとはめをはずすことのできる子どものようないたずらっぽいやさしさとユーモアがあって...動物と対話をする特殊な能力もあったらしい。アトリエには鳥が友だちのように遊びに来ていたし、市場で買い求めたねずみを大切に育てて絶対の信頼関係でむすばれていた...(同)」
奇しくも同じ55歳で夭逝したガストン・シェサックの作品がアール・ブリュットの文脈で語られるのにたいし、クートラスはむしろ民芸品とでもいいたくなるような、いい意味での無個性さがある。おそらく彼自身も、アーティストと呼ばれることを嫌悪したであろう。その点では、むしろナイーヴ・アートの画家たち、たとえばグルジアのニコ・ピロスマニなどのほうが親和するとおもう。
その後ぼくはGoogleの画像検索でずいぶんとクートラスをさがしたのだけれど、でてくるのはサーベルみたいな刃物(Coutelas)ばっかりだし、みつけても印象派期のものばかりだった。クートラスの願望どおり、彼の手によるカルトはいまだ無名でありつづけているようだ。





初めまして。
読者になりたいと思いますので、よろしくお願いします。
chapa
chapaさんご覧くださり多謝です。ちかごろクートラスが日本でも話題になっているのでしょうか?