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COPY AND DESTROY

copy_destroy_wht_s.jpg就職先さえおぼつかないこの時代、今の若いヒトは「自分らしさを大切に」などとメディアから脅迫されてまったくかわいそうだとおもう。

仏教的な言いかたをすると、「自分」などというものは幻想にすぎず、あくまで他者との関わりのなかで、そのつど現象として生まれる自分しかありえないということになる。

親や家族、友人、お客さんと、対する相手が変われば、その関係の数だけ自分がある。統一された自分など存在せず、ただいろいろいな自分があるだけということになる。相手によって話し方も、接し方も、人柄も変わる。

まあ、ここらへんの話は南直哉さんにゆずるとしても、セイゴオさんだって「ぼくはオリジナルというものを疑っている」と何かにつけて書いている。

いっそ「自分らしさ」など一生もたないほうがよいといいたくなる。死ぬまでコピまくればいいじゃないか。マネてマネて、マネまくるこそ若さだとおもう。それが成長ではないか。「まなぶ」と「まねぶ」は同源の語である。

ピカソでさえ、自分にオリジナリティがあるなどとは考えもしなかったのではないかと思う。彼が愛したキクラデス文化や、ベアトゥスみたいな絵を描きたい、近づきたいという童心みたいなものが描かせているのではないだろうか。(*1)

モーツアルトのあのスタイリッシュな書法も、ヨハン・クリスチャン・バッハからの薫陶なくしては生まれえなかったであろう。ぼくにはたまに、彼らの音がまったく同じにきこえる。

岡本太郎がピカソから受けたいちばんの影響は、先史の美に習うということであろう。欧州人のピカソがキクラデスならば、日本人のぼくは縄文に習おうと、あの火焔のような画面になったのだとおもう。

いま地球上にいるニンゲンは、すべてホモ・サピエンスというたったひとつの種に属する。黒いニンゲンも、白いニンゲンも、赤も黄も、ムスリムもクリスチャンもエスキモーも、遺伝子でみれば変わりがない。ゴリラとの差異でさえほんのちょっとである。

それぞれの習性をくらべても、食って、飲んで、ヤッて、ウンコして、傷つけたり、助けたりしてしまいに病んで死ぬという根っこの部分は変わりがない。

遺伝子にしろ文化にしろ、パーセンテージでいえばほんの1%にも満たないような差異、それだけで人類の多様性を保つには十分すぎるということであろう。初期値のほんのちょっとの差が、まったく違った結果を生むというのは、数学のフィールドでよく研究されている。

1%...それはちょうど瓶の底に沈殿したワインの澱のようなものである。一人ひとりのニンゲンにも澱ができる。それが俗に個性といわれるものの正体であって、もともと作為なくして自然に滲みでるたぐいのものであろう。努力して勝ちとるものではない。学校で先生にご指導いただくものでもない。何かをマネてマネて、マネまくったすえの残滓ではないか。(*2)

さらにその1パーセントでさえ、先天的にセットされた心象もしくは集合無意識にすぎないのかもしれない。ちかごろの脳科学や進化心理学においても、「自分らしさ」というものをよくよく疑っている。

聖人には心なし

(*1)もっとも新しいといわれる美は、同時にもっとも古い美でありえる。それは回顧や憧憬などとはちがう、もっと普遍的な永劫の美というものが確かにあるのだという希望をぼくらに抱かせてくれる

(*2)アフロ・アメリカンが西洋音楽をマネてるうちに、こんなんできましたというのが結局ジャズではないか

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