「骨髄移植体験者のお話」その3

心の自由はまだ残っている

それでまあ、白血病になって、しかも寝たきりで垂れ流しですよね、好きな本も目が悪くて読めなくなって、ほんと一時期鬱みたいに、まったく無表情な生き物になっちゃったんですけど、ぼくは最初に申しあげたとおり、まだ独身ですので、ここでですね、家族のためとか、子どもためとか、そういう生きる目的っていうのが、どうしても見いだせなくて、それでもう鬱になって、死んだほうが楽だったなーとか思ったんですよね。

まあそれでも思ったのは、母親に申し訳ねえなあと思いまして、親よりはですね、先には死なないと、最初病気になったときに約束したことがありましたので、それだけはマズイと。それでいちおうウチのカアチャンがくたばるまでは、とりあえず呼吸だけは続けようと。まずはそれを思ったんですよね。

あとですね、ここまでずっとドナーさんとかですね、輸血もいっぱいしてもらって、いろんな人の世話になってきたのに、ここでダメだ、ってことになったら、それがぜんぶ無駄になっちゃうと。ガッカリさせちゃうなと思ったんですよね。

自分のためっていうんなら、もう正直辛いんで、あーそんなのどうでもいいやって思うんですけど、それだけは絶対イヤだなと。ガッカリさせて終わるのはイヤだなと思いまして。逆にですね、生きてさえいれば、みんなオオーって喜んでくれるんじゃないかと思ったんですね。それだけは今できるなと。

ですからまったくの、端から見れば役立たずの、垂れ流しのニンゲンであってもですね、「生きてる」と、そのことを伝えるためにですね、生きてていいんだなと。

体の自由っていうのはぜんぶ奪われて、何もできない状態になったんですが、この厳しい現実でもどう受けとめて、どうみんなに返していくかっていう、心の自由はまだ無傷で残っていると、そう思ったんですね。それではじめて止まっていた列車が動きはじめたわけなんですね。

まあそうはいっても、実際には厳しい現実でしたので、ここをですね、なんとしても生き抜くには、もう変なプライドとか捨てちゃって、ほんとに赤ちゃんみたいになって、食事から下の世話からとことん手間のかかる者になりきってやろうと思ったんですよ。

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