...岩波文庫の「仰臥漫録」を夏服のかくしに入れてある。電車の中でも時々読む。腰かけられない時は立ったままで読む。これを読んでいると暑さを忘れ距離を忘れる事ができる...
...頭が変になって「サアタマランサアタマラン」「ドーシヨウドーシヨウ」と連呼し始めるところがある。あれを読むと自分は妙に滑稽(こっけい)を感じる。絶体絶命の苦悶(くもん)でついに自殺を思うまでに立ち至る記事が何ゆえにおかしいのか不思議である。「マグロノサシミ」に悲劇を感じる私はこの自殺の一幕に一種の喜劇を感得する。しかし、もしかするとその場合の子規の絶叫はやはりある意味での「笑い」ではなかったか。これを演出しこれを書いたあとの子規はおそらく最も晴れ晴れとした心持ちを味わったのではないか...
寺田寅彦『備忘録』
...かうした子規の歌----それは今日でもアララギ派歌人によつて系統されてる。----は、長い間私にとつての謎であつた。何のために、何の意味で、あんな無味平淡なタダゴトの詩を作るのか。作者にとつて、それが何の詩情に価するかといふことが、いくら考へても疑問であつた。所がこの病気の間、初めて漸くそれが解つた。
私は天井に止まる蠅を、一時間も面白く眺めてゐた。床にさした山吹の花を、終日倦きずに眺めてゐた。実につまらないこと、平凡無味なくだらないことが、すべて興味や詩情を誘惑する。
あの一室に閉ぢこもつて、長い病床生活をしてゐた子規が、かうした平淡無味の歌を作つたことが、初めて私に了解された。世にもし「退屈の悦び」「退屈感からの詩」といふものがありとすれば、それは正岡子規の和歌であらう...
萩原 朔太郎『病床生活からの一発見』
正岡の食意地の張った話か。ハヽヽヽ。そうだなあ...
...大将は昼になると蒲焼を取り寄せて、御承知の通りぴちゃぴちゃと音をさせて食う。それも相談も無く自分で勝手に命じて勝手に食う。まだ他の御馳走も取寄せて食ったようであったが、僕は蒲焼の事を一番よく覚えて居る。
それから東京へ帰る時分に、君払って呉れ玉えといって澄まして帰って行った。僕もこれには驚いた。其上まだ金を貸せという。何でも十円かそこら持って行ったと覚えている。それから帰りに奈良へ寄って其処から手紙をよこして、恩借の金子は当地に於て正に遣い果し候とか何とか書いていた。恐らく一晩で遣ってしまったものであろう...
夏目漱石『正岡子規』




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