「なぜ唐傘はわざわざ紙でつくるのですか」
「雨音を楽しむためなんです」
まだ若い唐傘職人の女声がラジオから聞こえたのはたしか入院中であった
これがほんとうなのかはわからない。調べても判然としない。しかし油紙の、あの鼻につく匂い(香りでなく)、タン、タンと雨をはじく音色を思い浮かぶれば存外そうかもしれないなどと思う
入院中、トタン屋根を打つ雨音が無性に恋しかった。県病の8階に雨音はとどかない。降っているのかどうかさえよくわからない。音のない雨ほど無味無臭たるものはない。
窓ガラスごしに空を見上げながら、雨に打たれる自分を、ちょっとした憧れをもって妄想したりした。外出はおろか、窓の開閉さえ自由にならない血液内科病棟にあっては、雨に濡れるというのもひとつの贅沢であり、健康の証、娑婆の象徴なのだ。
来そうな夕立がいつまでも来ない。十二時も過ぎて床にはいって眠る。夜中に沛然(はいぜん)たる雨の音で目がさめる。およそこの人生に一文も金がかからず、無条件に理屈なしに楽しいものがあるとすれば、おそらくこの時の雨の音などがその一つでなければならない。これは夏のきらいな人にとってもたぶん同じであろうと思う。冬を享楽するのには健康な金持ちでなければできない、それに文化的の設備が入用である。これに反して夏は貧血症の貧乏人の楽園であり自然の子の天地である。
寺田寅彦『備忘録』
いまトタン小屋を見るとついシャッターを切ってしまうのも、ファインダーごしにそれぞれの雨音を聞くような、いいえぬ耳心地を感受しているせいかもしれない
「雨のふる日はビリー・ジョエル...」と歌ったのは高田みづえと原由子か。作詞は桑田佳祐だったか。雨の休日になぜか聞きたくなる音楽というのも、それぞれに取り置きがあるとおもう。
タンジェリン・ドリームのレコに針を落とす。トタンを打つ雨音とともに




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