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口内炎サミット

世間がiPadで大騒ぎしていたころ、ぼくは何をしていたか。

婦長、看護師、栄養士を前にテーブル席についていた。 議題は「口内炎でも食えるメシを」である。

ゲリもGVも落ち着き、さああとは食えるようになれば退院だ!というところまではなんとかきた。しかしその食うというところで早くも頓挫した。

いま出てくる三分粥食というのは、おかず(ドロドロ)がついてくるのだが、醤油で味付けがされており口内炎のニンゲンは痛くて食えない。

津軽人は味付けにかならず醤油か味噌をたげ(いっぱい)使う。塩味の料理というものは好まれない。せいぜい焼き魚くらい。塩味ならなんとか食えるまで回復したのであるが、醤油はだめだ。

結局、お粥だけ食べて残りは下膳する。お腹が空くので夜中イライラする。空きっ腹をかかえて悶々としているうちに、だんだん腹が立ってきた。いくら申し上げても食えないメシを配膳し続ける県立病院のあり方そのもの、それを当たり前とする権力というものにまで考えがおよぶと、いてもたってもいられなくなってきたのだ。

患者は食えないメシを出されても、お金はしっかり徴収される。しかも、給食代は健康保険が適用されない。治療費とはまだ別にしっかりもっていかれる。

言い方は悪いが、これは弱者ビジネスの構造である。発言力のない患者の辛抱強さ、弱さに甘えた殿様商売といえるのではないか。

ほとんどの患者さんは病院のスタッフとのもめ事を嫌う。それで医師にも看護師にも本音を伝えず表向きはニコニコとつきあうのが普通である。しかし実際にダベっていると、給食ネタにまつわるグダメギが男女とわずいちばん盛り上がる。それくらいみんなが病院の食事に不満を持っているのだ。

ヨメのみそ汁

ここで思い出すのは、三年前、まだぼくが入院したてのころ相部屋となったジイチャンである。このじいちゃんは給食の味噌汁を啜るたびに「ヨメのみそ汁」ともらしていた。ダシのうま味がない、愛情のひとかけらもないみそ汁。おヨメさんには悪いが、それをじいちゃんはたった一言で表現しきった。

みそ汁といえばもうひとつ思い出すのは、たしか移植して間もない頃だったと思うが、蓋をあけたらただのお湯が入っていたので看護師に言ったら栄養士が三人くらいで押しかけてきて、そのお湯をスプーンでかき混ぜはじめた。そしたらうっすらとみそ汁色になるではないか。「どうぞお飲みください。みそ汁でしょう?」と。

お湯に味噌を溶かした味である。これがみそ汁といえるのかどうか。具も何もない、ただの味噌液体。それを「みそ汁」と三人がかりで定義する栄養士たち。

具のない話といえば、じゃがいもの千切り味噌汁を思い出す。千切りのわずか2~3本を箸で寄せてすくって食った記憶がよみがえる。まるでヴィクトール・フランクルの『夜と霧』のような話ではないか。

「食べる」という、人生最大の楽しみを奪われ、そしてやせ衰えていくニンゲンのやり場のない憤り。これは本能に根ざした欲求であり、患者の意志を超えたものだ。腹が減っては戦もできないのだ。たんに食通だとか食いしん坊だとか好き嫌いの有無ですむ話ではない。

それで栄養士さんに何度も何度も、メシの相談を重ねてきたのであるが、口内炎の人むけのご飯を提供することはやっておらず、既存のメニューで我慢してもらうしかないという。

だったらそういう病院のありかたそのものを変えませんかということで冒頭の場に臨んだわけである。

栄養士がいないとがん治療が回らない

県立中央病院は平成20年に組織が大きく改変され、ぼくのいる血液内科も「がんセンター」の一部となった。青森県のがん死亡率全国ワースト一位の現状を受けて県が、がん拠点病院としての機能を県病に求めたからだ。

がんといえば、抗がん剤である。これは固形がんも血液のがんも同じである。化学療法をやると、だいたい3分の1以上は口内炎を患うといわれている。つまり、がん治療と口内炎は、切っても切れないくされ縁なのだ。

酸っぱいもの、固いもの、生の野菜や果物、辛いもの、しょっぱいもの。ふだんは何ともないこれらの食事がえらい滲みて食えなくなる。食えないと体重が減り体力が落ちる。予後の回復が遅れるぶん、合併症のリスクも高まる。

でも食えないのでそのまま下膳するしかない。あとは売店を物色してしのぐことになるのだが、甘味ばかり選んでしまうので、栄養バランスはムチャクチャに壊れる。

たかが口内炎といっても、経口摂取できない状態を長く続けていると、最終的には生存率にまで影響する。たとえばオーストラリアでは「栄養管理がうまくいかなければ、治療の中断もやむなし」というくらい栄養管理を重視し、栄養士がいないとがん治療が回らないほど、栄養士は重要とされているそうである(徳島大学 中屋豊教授)。

日本では救命優先が先行し、退院予後も含めた患者の生活サポートを怠ってきたことが、栄養管理の普及を遅らせている原因ではないかとおもう。県病もセンター制になり、組織的には全人的医療(がんセンター長 森田隆幸)ができる仕組みにはなった。しかし患者がそれを実感するまでにはまだ至ってない。外来を予約しても2時間待ちとかくらってるいるうちは。

人間らしさを奪う口内炎

口から食べることの大切さは医師・栄養士の別なく誰しもしっている。必要なカロリーは点滴から十分摂れてますよと理路整然と説明されても、患者の顔は虚ろになっていく。逆に一口でもモグモグ、ゴクリできたあとの、ニンゲンの晴れやかな顔もよく知っているはずである。

今ぼくが生きてあることは、ぼくの食いしん坊ぶりと無関係ではない。

みなさんもせっかくの一日が口内炎でだいなしになったという経験が一度はおありではないかと思う。それが何日も、何週間、何年も続く苦しみがこの世にはある。

三度三度の飯を食えることの充足感、今日も人間らしくあることの落ち着き。この人間らしさを奪い、病と向き合う勇気を奪うものは何か。それが口内炎なのだ。つまり、口内炎ケアなくして、がん治療なしと言い切ってもよいほどなのだ。

ぼく自身、移植してからの三年間、口内炎をたずさえて生きてきたのであるが、医療は口内炎の治療を「GVですね」の一言で何もしなかったばかりか、口腔ケアのサポートも栄養指導もしなかった。しかもである。それが原因で体力が落ち、激ヤセして入院したというのに、ぼくを待っていたのはやはり痛くて食えないメシだったのである!もちろん自業自得ではあるとしてもだ。

こんなぐだめぎ話につきあってくれた若い看護師さんが、主任看護師、婦長さんへとつないでくれ、ついに一患者の立場で病院側にもの申すことになってしまったのだ。(続く)

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