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小島一郎 平凡なものを料理する

フォトアート

青森県立美術館の小島一郎ギャラリーに置いてあった「フォトアート1963年6月号」の現物をヤフオクで入手。小島本人が自身の撮影技法を明かしているのみならず、そのナイーブな文体は彼の写真世界そのものといえる。引用といいながら例によって記事全文のせておきます。

 
風景をどう仕上げるか5 風景を演出する!
小島一郎
 
平凡なものを料理する
 
小島一郎
風景を撮影する場合、私は自分の感情に訴えてくるものがある時に始めてシャッターをきる。非常に瞬間的であり、しかも興奮しているため、具体的に言葉でいい表すことができないが、広い範囲にわたって風景全体が私の心をふさぶる場合もあれば、その中のある一部が、もっとも強く私をひきつける場合もある。
 
よい風景写真とは、風景それ自体がよいからだとは思わない。
 
みんながすばらしい風景だと感心するような場所はそんなに数多くあるわけではないし、もしそんな場所だけを撮影していたならばすでに撮影するところがなくなっているだろう。
 
私は過去四年間にわたり青森県の津軽地帯を撮りつづけてきたが、同じ場所を何回歩いたか知れない。しかし同じところでも時間の移り変わりとか、季節の変化により風景そのものが行くたびに変わっている。あるいはそれらをみる私自体がかわっているのかも知れない。たびたび経験することであるが、シャッターをきろうと思いながら、帰りにしようとそのまま通りすぎる。すると、帰りには最初にみたような感動がおこらない。
 
そのようなにがい経験から、今では最初に感じた時に必ずシャッターをきるようにしている。また、つねに物を注意深くみつめることも非常に大切なことだと思う。そういう習慣を養っておくことは本当に大事な問題だと考える。例えばその辺におい茂っている草一本でもよくきをつけてみると、いろいろな表情があることを教えてくれる。そこから自分が感じたものを一本の草によって画面に表現することが出来たならばどんなにうれしいことだろう。現在のようにいかに発達したカメラでもそこまでは、写しとってくれない。私は珍しいモチーフとかショッキングなものよりは誰にもみむきもされないような平凡なものをみて、自分ならばどういうふうにとらえるかということをつねに心がけるようにしている平分なものはどこにでもあるし、おっくうがらずに歩くと、私の心をとたえることがしばしばある。平凡なモチーフを自分なりにいかに表現するかという積み重ねがあってこそ、よいモチーフに遭遇した場合に、より以上の表現が出来るのではないかということが私のつたない持論である
 
暗室操作を頭にいれて撮る
 
また私は暗室操作のとき、ほとんど印画仕上げで焼きこみをしているので、風景をみた場合すでにその点をいれてみてシャッターをきる。またテクニックは非常におろそかにされがちであるが、私は大変大切なことであると思う。作品の善し悪しを決定する一つの大きな要素であるとも考える。一枚の作品をつくりあげる場合、第一によくものをみる眼と感じとる心、そしてそれらを表現できる熟練した機械の操作、最後に暗室での仕上げの操作が渾然一体となって始めてよい風景写真ができる。理屈では容易にいえるが、なかなか大変なことだと思う。そんなことを考えるとまだいろいろなことを経験し、勉強しなければならないといまさら痛感している。私はいままでフィルターを使用したことがなく、すべて焼きこみなどにより印画をつくってきたので、フィルターのことはよくしらない。なにもはっきりした理由があって使用しないのではなく、別に不自由を感じなかったからである。
 
作例1

作例1は波のうねりと、暗い空の不気味さとで、ネガは二号印画紙を使用しても硬調だが、それを四号の紙を使用し撮影の時にうけた印象をより一層強く表現したものである。
 
津軽半島の日本海側にある十三村は往時、米、木材の積出港として非常に繁栄を極めた場所であるが、今では当時の面影のひとかけらも見あたらぬほどにさびれ果て、それに加えて日本海から吹きよせる強風が村中をゆさぶるように唸りをあげて荒れ狂う日が多い。珍しく風のない日は夕陽が事のほか美しい場所である。しかしいったん荒れると暗い雲が重くたれこめ、不気味な様相に変わってしまう。暗い雲の切れ間から出棺のぞいた光が、大きくうねり乍ら押し寄せる波をぎらりと光らせている。(ライカⅡ F ニッコール50ミリ F1.4 ネオパンSS 絞り f8 D76 フジクロF4 D72)
 
作例2
作例2
は稲をかりとる農夫が自分のてさきがみえなくなるほどおそくまで働いている姿というより、バックの夕焼けの空の美しさにひかれ、それを表現するようにした。
 
そのため印画の半分をしめる農夫を黒くつぶし、夕焼け空の下に点景としてあつかうようにしたものである。
 
いままで津軽の冬を多く撮り続けてきたが、真っ白な美しい雪でも、粒子をあらすことによって、吹雪のすさまじさをより以上強く表現したり、あるいはハイキーにして美しい雪のある風景にしたり持っていると思う。しかしテクニックは大切であるが、それはあくまで縁の下の力持ち的役割りと思う。やはり一番大切なことはその人それぞれに感じ取ったものを画面に強く打ち出すことであると思う。
 
いままでずいぶん本などでみたが、やはり作者自体の感動が画面にでて、始めて人がみてもその時の感動をうけることができるものと考える。また風景を撮る場合アングルも非常に大切である。私は道を歩きながらときどき振り返ったり、横道はいったり、可能な範囲でながめてみるようにしている。風景そのものはどうしたって移動するものではないのでこちらが移動しなければならない。
 
話が前後して終わったが、引きのばしのテストのさい、極端に必要以上の露光をかけて、現像液のなかで画像のでかたの進行状態をみていると真っ黒になるまでの課程において自分が想像もしなかったような調子を発見したりする。そんなことがその後の作品をつくるうえに役立つことがしばしばある。いろいろととりとめないことを書きつらねたが、私の経験からたゆまない根気での積み重ねが必要だと考えた。
 

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