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あきらめの効用

病気して何か変わった? とかよく聞かれる。大病したニンゲンはなぜか、変わらないといけないようである。あまり何度も聞かれると、ついアマノジャクになって「いや、何にも変わらないよ」などと答える。相手はたいそう不満げである。

もちろん、変わったと思うところもあるのだが、どっちかというと、変えさせられたと言ったほうが当たっている。
 
なんとか生きていくために、あきらめるところはバッサリとあきらめる。昔できたことを今できなくても、なるべく悲しまないことにする。歩けない、見えない、食えないとか。もちろん悲しくないわけではないけど、「病気前の私は死にました」と思うことにする。過去の自分はもうどこにも存在しないのだから事実そうなのだが、これがけっこう難しい。人間は何かを欲することには慣れているが、失うことには死ぬまで不慣れであろう。
 
「あきらめる」という言葉には、どこか後ろ向きなイメージがつきまとう。しかし本来の意味は「明らむ」、つまりハッキリさせるということだ。リアルをありのまま認めるということであって、悟りの一ヴァリエーションであるといってもよい。
 
人生で一度もあきらめたことがないというニンゲンが仮にいたとする。アメリカ流ポジティヴ・シンキング風にいえば、「Yes I Can !」みたいな。あきらめずにがんばれば夢は必ず実現する!みたいな。書店のビジネス本コーナーに平積みされた本みたいな、びっくりマーク!ニンゲン。その形のとおり、ぼくには彼らがどこか薄っぺらな、空虚な人間に思えてしょうがない。
 
苦しみを舐めたことのない画家の描く絵が何の深みもないように。鬱になったことがないニンゲンの書物には奥行きがないように。決してあきらめないニンゲンにはどこか不自然な、空疎なところがある。
 
がんばるニンゲン、あきらめないニンゲン、これを自己脅迫するのが現代人の病理であるとさえ思う。周囲をみても、鬱になるヒトはたいてい優秀で仕事がよくできるヒトであり、他人の期待に応えようとする生真面目さんが多いように思う。彼らがもし、あきらめる技術をちょっとでも導入したら、さぞかし自殺者が減るであろうとさえ思う。
 
そういう意味で、病気をして何が変わったかといえば、毎日がラクになったということにつきると思う。体の痛みはたしかにある。生存の不安もある。しかし、心の庭は前より広々としており、居心地もよい。あきらめの効用であろうと思う。
 
入院中、看護師さんから「ナラジンさんは無理しないけど、無茶する」と言われたことがある。その話をインド師匠にしたら「これからはナラジンではなくムリジン、ムチャジンだ」などと茶化された。やっぱり何も変わってないかも。

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