論理療法—自己説得のサイコセラピイ
A.エリス/R.A.ハーパー 著 北見芳雄 監修 國分康孝・伊藤順康 訳
4,095円
A5判 328頁 ISBN4-7610-0282-4
1981年刊行
症例がとにかく豊富だ。会話体の文章は小説っぽくてスリリングだし、訳もよい。常習的同性愛者や、夫婦でいがみ合う人たちが治療されていくプロセスは、読んでいる側も「よかったねー」と拍手喝采したくなる。しかし、ここまで患者に厳しい心理療法がかつてあったろうか?
むかしからけっこうこのテの本は読んでいたつもりだったが、『論理療法』にはかなりショックを受けた。小生の好きなマルクス・アウレーリウスや、エピクテトスら後期ストア哲学の現代版ともいえるべきものであり、まさに温故知新といった趣である。もっと早く知りたかった。誰も教えてくれなかった。
彼らの主張はあまりに単純なので、心理学の難渋な議論に慣れた人にはちょっと胡散臭いものにうつるかもしれない。しかし我々にとって興味があるのはそれが使えるかどうかであって、学問的に貢献するかなんてどうでもいい。犯罪心理や異常心理にはちょっと使えそうもないが、我々のように一応健常者として生活している人間が陥る心理的袋小路にはとにかくよく効く。特に、世間一般には幸せそうにみえる人びと、成功している人びとがなぜこんなに心を病んでいるのかという疑問こそ、論理療法が誕生したきっかけとなっている。
勉強がそれなりによくできた人たち(いわゆる優等生)ほど、自分の非論理性に気がつかない。それを論駁し、正しい思考に置きかえてやれば、そこから新たに正しい感情、正しい行動を生みだすことができる。彼らはもともと論理的思考ができる聡明な人が多いので、論理療法こそ効果的というわけである。まさに現代人特有の病理というほかはないが、「思考が感情を生みだす」という考え方をきいて、即座にクリシュナムルティの講話を思い出す方もおられるかもしれない。仏教もこう伝えている。いわく、「苦しみとは、あなたの心が生み出したもので、実はどこにも存在しないのだ」と。
もうひとつ、論理療法のよいところは—これもストア哲学と共通するのだが—潔さというか、諦めることを大いに奨励するところである。好きな人にフラれて、しかもその人が結婚してしまった。この場合、論理療法ではきれいさっぱり諦めろ、という。生きていくうえで、自分ではどうにもならない事態は必ずやってくるということを素直に認めてしまうのである。逆に、自分の努力で好転する可能性のある事態ならば、大いに患者を鼓舞し、問題と向き合うよう促す。あくまで理知的に考え、理知的に納得のいく行動をとる。ここらへんもストア哲学に通じる。
「私の力で変更できるものはそれを変える覚悟をもとう。変えられないものについては、それを落ちついて受け入れられるようになろう。そしてその両者の区別ができるほどの知恵をもとう」(p188)
たとえば、「母親が死んだ」といって文字通り声をあげて泣き出した41歳の男性のことが紹介されているが、なんとその母親が死んだのは21年前だったというのである。この場合、嘆き悲しんだとしても母親が生き返るわけではないから、彼の行動はまったく非論理的である。彼の行動を嘲笑する向きもあるだろうが、我々だって似たような何かをひきずって毎日生きているのではないだろうか。
失敗や失意をはっきりと認め、「次いってみよー」ときっぱり言える生き方づくりがいま我々には必要であろう。自分を愛し、あえて退く勇気をもつことこそ、ゆるがぬ幸福へと我々をみちびくのである。
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神経症者とつきあうには—家庭・学校・職場における論理療法
A.エリス 國分康孝 監訳
1,733円 在庫僅少
四六判 232頁 ISBN4-7610-0305-7
1984年刊行
私たちは人生でいやな上司、気むずかしい配偶者、ひとくせある友人など、とにかくつきあうのにくたびれる他人と共存せざるを得ないことがある。日常生活においてそうした《神経症者》とつきあう際のハウツーとその理論的根拠を、論理療法の立場からやさしく説く。人間関係を改善するための書。