恐山院代...南直哉 【きき手】金光 寿郎
--南さんは「本当の自分を探す」という言葉を聞くとどんなことを考えますか?
「本当の自分」という言葉で何をその人が問題にしているのかっていうことなんです。よく聞いているとですねえ、その「本当の自分」というのは、「今の自分はどうすればいいのか教えてくれるもの」みたいなんですねえ。
今の世の中は、自分で何かをしなきゃいけないということを強調する社会ですから、まず個性的でなければいけない、それから最近の風潮では自己責任とか、自己決定とか常に言われる。しかし決定したり選択したりするには根拠がいりますから、価値判断の。何に基づいて決定するのかが常に問題になる。
ところがこれはそう簡単には見いだせないですから、非常に不安になると思うんです。問題は、「自分探し」っていう言葉で言ってる「自分」はその決定根拠になるうる何かではないか、あるいはその決定の根拠を教えてくれる何かではないかっていう感じがするんですね。
でも自己決定をするということは実は非常に重荷なんではないかと思うんです。これ気持ちはよく分かるんです。
ぼくも禅寺に行ってですね、規則でがんじがらめになるわけです。だから最初は非常に苦しいわけです。ところがね、あれ楽なんですね(笑)。慣れると。つまり、やることがぜんぶ決まってて、これさえやってれば誰にも文句を言われないという時期というのは実はいちばん楽なんです。
私は永平寺におりましたから、いちばん辛かったのは、丸三年たって四年目五年目になって、まわりが誰も、あなた、あーしなさい、こーしなさいと言わなくなったときなんです。そっから先に、自分が何をするのか、何を目がけて修行していったらいいのか自分でこう設定していくことのほうがずっと大変なんです。
本当は、「自分探し」という言葉で求めているのは、自分の生き方の大事な選択かなんかを任せられる何かではないかと思うんですね。