自分自身のなかに絶対的な根拠があるって考えることはまずやめたほうがいい。何かある方法で、ある宗教や思想を信奉して従っていくと、いつかは絶対的に正しい自分と、絶対的に正しい判断基準を提供してもらえるっていうふうには思わないほうがいいんじゃないかと思うんですよ。
--これさえあればあなたは安心ですよ、と言われるようなものは警戒したほうがいいよと。
したほうがいいと思います。つまりある宗教とかある教えとかさまざまな考え方があるでしょうけれども、やはり生きるときの道しるべにはなってもゴールにはならない。
人が生きる、もしくは進んでいくときに道路標識は必要じゃないですか。混乱しないためには。だからそういうものとして考えるならいいんですが、ここが終着点だという線を宗教や思想がひいてくれるとは思わないほうがいいと思いますね。道の最後はここです、というふうに線をひいてくれて、ここに確実に届くようにしてあげますっていうことをあまり大きな声でいうことは、即信じたらいけないんじゃないか。
--終点はここだと、いうんじゃなくて、方向としてどっちに行くかというときに選ぶ基準みたいな...
基準ていうのは何かを測る道具じゃないですか。語弊があってはいけないですが、宗教であれ思想であれ、それはひとつの生き方の手段でありテクニックとして考えた方がいいと思うんですよ。
人生を最後まで生ききるのに、どうやるのかっていうときの大切な導きであり、場合によっちゃあ杖になるとは思うんです。しかし大事なのは生きがたい人生を最後まで生ききって、最後に、生きててよかったなと思うかどうかであって、何らかの真理を体得しないとダメな人間だとはいえないと思うんですね(笑)。
「これでいいのだ」 byバカボンのパパ
朝日が東から昇るのは基準であって真理ではなく、ある日西から昇ったとしてもそれは事実だし、お昼に頭上に上がり、夕方東に沈むなら「これでいいのだ」。