<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom">
    <title>narajin.net</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://narajin.net/" />
    <link rel="self" type="application/atom+xml" href="http://narajin.net/atom.xml" />
    <id>tag:narajin.net,2009-09-09://21</id>
    <updated>2012-05-18T02:34:16Z</updated>
    <subtitle>narajinのブログです。
| ブログ記事一覧へ
| タグ一覧へ
| ナラジンについて
| お問い合せ</subtitle>
    <generator uri="http://www.sixapart.com/movabletype/">Movable Type Pro 4.22-ja</generator>

<entry>
    <title>つじいのみつかけ</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://narajin.net/2012/05/post-530.php" />
    <id>tag:narajin.net,2012://21.6852</id>

    <published>2012-05-18T02:29:59Z</published>
    <updated>2012-05-18T02:34:16Z</updated>

    <summary>昨日はYさんがお見舞いに来てくれました。外出許可がでたので「醤油屋　おお田」に連れてってもらいました。紫のこってりの細麺とギョーザを注文しま...</summary>
    <author>
        <name>jin</name>
        <uri>http://narajin.net/</uri>
    </author>
    
        <category term="09:白血病再発生活" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="ラーメン" label="ラーメン" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://narajin.net/">
        <![CDATA[<p>昨日はYさんがお見舞いに来てくれました。外出許可がでたので「醤油屋　おお田」に連れてってもらいました。紫のこってりの細麺とギョーザを注文しました。帰りに海を見に行きました。磯の香りがしました。そのあと辻井もち店に行ったら「<a href="http://r.tabelog.com/aomori/A0201あ/A020101/2000110/dtlphotolst/P58927/?smp=1&ityp=1">みつかけ</a>」が終わっていてがっかりしました。メガで黒棒とクルミ餅を買いました。</p>

<p>抗がん剤が入ると外出禁になるので治療前のとても良い気晴らしになりました。良くなったらまた辻井に連れてってくれるとYさんが言いました。へこたれそうになったら「つじいのみつかけ」と唱えて乗り切っていこうとおもいます。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>もうテレビは買いません</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://narajin.net/2012/05/post-529.php" />
    <id>tag:narajin.net,2012://21.6851</id>

    <published>2012-05-15T07:29:01Z</published>
    <updated>2012-05-16T04:36:07Z</updated>

    <summary>人はときに自分でも不思議におもう選択をみずから下すことがある。 先月あたりだったとおもう。前からほしかったソニーの液晶テレビ（ブラビア）をア...</summary>
    <author>
        <name>jin</name>
        <uri>http://narajin.net/</uri>
    </author>
    
        <category term="09:白血病再発生活" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="白血病" label="白血病" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://narajin.net/">
        <![CDATA[<p>人はときに自分でも不思議におもう選択をみずから下すことがある。</p>

<p>先月あたりだったとおもう。前からほしかったソニーの液晶テレビ（ブラビア）をアマゾンで買ったのだが、届いてすぐ母にくれてしまった。自分でもなぜそうしたのかわからないし、もらった母も素直に喜べず、さかんに気味悪がっていた。</p>

<p>しかし白血病の再発がわかり、家をしばらく空けることが現実となった今思えば、テレビを母の部屋に設置したのはまったく正しい選択だったわけである。</p>

<p>これを単なる偶然だとぼくは思わない。実は６年前、骨髄異形性症候群だとわかったときもやはり、ソニーのテレビを買っばかりのときだったからだ。そしてこのテレビもまた、ぼくが入院してから、そして今も母のものでありつづけている。だからもう新しいテレビは二度と買うまい、という選択を今また新たにしたところである。</p>

<p>ニンゲンは自分でもそれと気づかないうちに、内なる声に耳をかたむけ、毎日さまざまな選択をしている。アイエンガー教授の「選択の科学」ではないけれども、人生とはまさに選択そのものであり、同時に結果でもある。</p>

<p>選択といっても人にとって解釈はいろいろだろうと思うが、ぼくにとって選択とは、判断、決断、実行の三つのことである。この「判断・決断」の根拠になるものは、データよりも直感に頼ったほうが後の満足度が高いという統計的事実もまた、アイエンガーさんの主張するところである。</p>

<p>実行を選択の一部としたのは、実行をともなわない選択など選択ですらなく、ただの想像や思案にすぎないとおもうから。実行のない選択なんて、クーラーの効いた快適な部屋でソファに寝そべりながらサハラ砂漠の映像を見ているような、空虚なものだとおもうから。</p>

<p>だから選択の結果は現実となってあらわれる。明日の昼メシの選択がラーメンという現実になり、病気の場合ならば退院という現実になったり、その逆であったりする。</p>

<p>もっとシンプルにいえば、選択とは自分そのものだ。今の自分のありようこそ、それまで自分がなしてきた選択の結果そのものなのだ。</p>

<p>だからニンゲンは、自分の人生を自分で作り出すことができると思っている。そういう意味でぼくは運命論者でも虚無論者でもない。人間の意思と勇気の力を信じてやまない、ニンゲン主義者なのだ。</p>

<p>ぼくがこのブログに書き綴ってきた断章に一貫して流れるテーマとはまさに、ニンゲン讃歌である。どんな惨状にあってもニヤニヤしながらブログを書いているある動物の生態を写生するための物見小屋、それがナラジンドットネットだとおもっている。</p>

<p>それでは今の自分にとってもっとも重要な選択とは何か。白血病氏は気が短い。こうしてブログを書いている間にも体内では腫瘍細胞が倍々ゲームで増殖を続けており、命の選択を迫ってくる。医師とじっくり納得のいくまで話し合うとか、セカンドオピニオンをお願いしてみようとかクヨクヨ考えている時間などまったくないのだ。まず次の手を今すぐ選択することこそ、いちばん重要な選択なのである。</p>

<p>自分の直感を信じ、そうと決めたらすぐ実行する。直感が「進め！」と指し示すのは、経験からいっていつも苦難に満ちた暗黒の森であることが多い。だから選択にもっとも大切なもの、それは知性や経験よりも、闇の恐怖に立ち向かう勇気である。「選択の勇気」。これこそアイエンガーさんが学生たちに伝えたいことなんだと思う。</p>

<p>古代ゲルマン人は「ヴァルハラ」という天国を信じていたそうだが、そこに入れるのは勇者だけだと考えていたらしい。おそらく、あの世は勇気をもつものでなければちっとも楽しめないほどスリルに満ちた世界だと想像していたのであろう。仏教やキリスト教にくらべなんと豪快な天国であろうか。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>白血病が再発した</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://narajin.net/2012/05/post-460.php" />
    <id>tag:narajin.net,2012://21.6850</id>

    <published>2012-05-12T01:05:57Z</published>
    <updated>2012-05-12T23:24:48Z</updated>

    <summary>実はまだ実感というか、現実味がまるでないのであるが、白血病が再発したから入院しなさいと医師から急ぎの電話があった。先月はじめの血液検査では何...</summary>
    <author>
        <name>jin</name>
        <uri>http://narajin.net/</uri>
    </author>
    
        <category term="09:白血病再発生活" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="白血病" label="白血病" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://narajin.net/">
        <![CDATA[<p>実はまだ実感というか、現実味がまるでないのであるが、白血病が再発したから入院しなさいと医師から急ぎの電話があった。先月はじめの血液検査では何ともなかったのに、ここ１カ月で急激に状態が悪化していたらしく血小板が３分の１以下に激減していた。骨髄の検査（マルク）でも悪性腫瘍がすでに５０％にまで増えていた。あまりの突然さに実感がまだおいついていない。</p>

<p>たしかに体重の減り方が異常だったし、原因不明の熱にずいぶん苦しんでいた。今から思えばそうだったのかということばかりだが、昨年１１月に移植後５年たって自分も医師も白血病は完治したと安心していただけに、ショックを通りこして言葉もでない。</p>

<p>実は６年前、同じく白血病になったときとかなりシチュエーションが似ている。あのときもWEBのシゴトに悩殺されて納品が終わった５月にぶっ倒れたのであるが、今回もまったく同じパターンだ。精神と白血病の関係についてはまだ科学的に立証されていないが、主治医によれば、ナチュラルキラー細胞（がん細胞の殺し屋）の働きがストレスによって低下するという説があるそうだ。科学的には説明できなくても、経験的に納得がいった。ぼくは６年前と同じ大失敗をしてしまったのだ。命よりもシゴトを優先するという間違いを。</p>

<p>明後日には中心静脈カテーテルの挿入の手術をする予定だが、血小板が少なく血が止まらない危険があるので、先に血小板の輸血をすることになりそうだ。</p>

<p>口の痛みを抑えるために今年から免疫抑制剤を増量してきたのに加え、疲労やストレスで免疫力がかなり低下していたらしく、悪性の細胞が一気に増殖したらしい。もっとまめに通院して腫瘍マーカーの検査をやっていればよかったと悔やんでも後の祭りである。</p>

<p>免疫抑制剤を減らしていき、まずはＧＶＬ（移植片対白血病）に期待するしかないが、これだけ悪性の腫瘍が増えてしまっては掃除が追いつかないかもしれない。いま自分にどれだけＧＶＬの力が残っているのか不安だ。</p>

<p>実は以前にも再発の危機があったのだが、そのときは早期に発見できたのでＧＶＬでやっつけることができた。あのときの奇跡をもういちど願う。</p>

<p>とにかくこうしてやみくもに書くことで心を落ち着けるしか今はできることがない。自分の体が耐えられるかどうかというより、心がもういちどあの地獄に向き合うことができるか。それこそがこの漠とした不安の根であろう。</p>

<p>もう自分の力ではどうにもならないことはわかっているし、医師や看護師、家族、友人たちの助けを借りなければ一日ももたないだろう。最後のところは自分を生かしている何ものかが自分をどうしたいかだ。</p>

<p>その何ものかは、６年前に死にかけたとき、６年という時間をくれたが、いまぼくからまた生きる時間を、人生を奪い去ろうとしている。</p>

<p>自分がほしいのは、この痛みや苦しみをきれいさっぱり取り去ってもらうことではない。むしろ神さまにひとつだけお願いするとしたら、苦しみに耐えるだけの勇気をぼくにくださいとねがう。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>うぐいす</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://narajin.net/2012/05/post-459.php" />
    <id>tag:narajin.net,2012://21.6849</id>

    <published>2012-05-07T02:20:32Z</published>
    <updated>2012-05-07T06:27:01Z</updated>

    <summary>いそがしいことを口実にブログで言い訳はすまいと決めていたが、今春は珍しくシゴトで忙しい。２月まで国立病院でヘロヘロしていたから頭も体もビジネ...</summary>
    <author>
        <name>jin</name>
        <uri>http://narajin.net/</uri>
    </author>
    
        <category term="Journal:独り居ジャーナル" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="障碍者" label="障碍者" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="弘前" label="弘前" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://narajin.net/">
        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="アイスクリーン" src="http://narajin.net/archives/images/IMG_0587.jpg" width="400" height="400" class="mt-image-none" style="" /></span><p>いそがしいことを口実にブログで言い訳はすまいと決めていたが、今春は珍しくシゴトで忙しい。２月まで国立病院でヘロヘロしていたから頭も体もビジネスのテンポに歩調をあわせるので精一杯で、気がつけば４月が終わり、４キロ体重が落ちていた。とにかく何でもいいから生きてる証に書こうとおもう。</p>

<p>うぐいすが鳴いている。３月の雪解けのころは音痴すぎて腰が砕けそうになったが日々のボイトレの成果もありちかごろは朗々とした伸びやかなノドをきかせている。毎朝うぐいすの声で目覚める。夕方ゴハンを食べるころにも鳴いている。ラジオやレコを止めて窓の外に耳をかたむける。</p>

<p>弘前市身体障害者福祉連合会から封書が届いた。いつのまにか評議員にされていて総会に出席しなさいということになっていた。総会に出たら今度は青森県視覚障害者福祉連合会から封書が届き、総会に出なさいということになっていた。どんだけ組織が連なっているのか皆目わからない。</p>

<p>青森県視覚障害者情報センターから「点訳・音訳奉仕員養成講習会受講申込書」というのが届いた。今年は弘前で受講できるということで前からお願いしておいたものだ。ぼくの苦手な漢字の読みや音読の試験を通過しないと受講できないらしい。夜ひとりで発音練習していると気持ち悪いからやめろと母から文句がくる。</p>

<p>弘前中三にジュンク堂ができた。オープン初日はあいにくの雨となったが行ってきた。土手町がたくさんの人でにぎわっているのを見たのは何十年ぶりだろうってくらい人がいた。そのせいかしらないが地下のチャイナドールが「中みそ」にリネームして大繁盛していた。
</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>入院点取り占い</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://narajin.net/2012/02/post-458.php" />
    <id>tag:narajin.net,2012://21.6846</id>

    <published>2012-02-21T02:39:07Z</published>
    <updated>2012-02-21T05:17:34Z</updated>

    <summary> 先月の入院中、ツイッターで「入院点取り占い」というものを描こうかと思いついた。つまりは排毒行為である。いいかげん院内のことをブログにするの...</summary>
    <author>
        <name>jin</name>
        <uri>http://narajin.net/</uri>
    </author>
    
        <category term="Journal:独り居ジャーナル" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="看護師" label="看護師" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="患者" label="患者" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://narajin.net/">
        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="nyuin-top.png" src="http://narajin.net/archives/images/nyuin-top.png" width="400" height="400" class="mt-image-none" style="" /></span>
<p>先月の入院中、ツイッターで「入院点取り占い」というものを描こうかと思いついた。つまりは排毒行為である。いいかげん院内のことをブログにするのも飽いたし、新年早々入院とあってはもう自分を笑うしかない、笑えというむりくりな寒中見舞いである。</p>

<p>2月はじめに退院し、「点取り」もめでたく終了となった。しかし友だちからは「楽しみにしていたのに残念だ」という声がけっこう届いた。退院して残念がられるというのも変な話であるが、かといってサイニューインの約束もできないので今度はまた新しいネタで点取り占いをはじめようかと思った。
</p>

<p>入院中楽しみにしてくれてた人よありがとう。おかげさんでずいぶん発散できたよ。だんだん良くなる法華のタイコ。</p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="tentori20110115.png" src="http://narajin.net/archives/images/tentori20110115.png" width="401" height="201" class="mt-image-none" style="" /></span>
<p style="clear:both">1月15日</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="tentori20120116.png" src="http://narajin.net/archives/images/tentori20120116.png" width="640" height="320" class="mt-image-none" style="" /></span>
<p style="clear:both">1月16日</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="tentori20120117.png" src="http://narajin.net/archives/images/tentori20120117.png" width="400" height="200" class="mt-image-none" style="" /></span>
<p style="clear:both">1月17日</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="tentori20120118.png" src="http://narajin.net/archives/images/tentori20120118.png" width="400" height="200" class="mt-image-none" style="" /></span>
<p style="clear:both">1月18日</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="tentori20120119.png" src="http://narajin.net/archives/images/tentori20120119.png" width="400" height="200" class="mt-image-none" style="" /></span>
<p style="clear:both">1月19日</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="tentori20120120.png" src="http://narajin.net/archives/images/tentori20120120.png" width="400" height="200" class="mt-image-none" style="" /></span>
<p style="clear:both">1月20日</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="tentori20120122.png" src="http://narajin.net/archives/images/tentori20120122.png" width="400" height="200" class="mt-image-none" style="" /></span>
<p style="clear:both">1月22日</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="tentori20120123.png" src="http://narajin.net/archives/images/tentori20120123.png" width="400" height="200" class="mt-image-none" style="" /></span>
<<p style="clear:both">1月23日</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="tentori20120124.png" src="http://narajin.net/archives/images/tentori20120124.png" width="400" height="200" class="mt-image-none" style="" /></span>
<p style="clear:both">1月24日</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="tentori20120125.png" src="http://narajin.net/archives/images/tentori20120125.png" width="400" height="200" class="mt-image-none" style="" /></span>
<p style="clear:both">1月25日</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="tentori20120126.png" src="http://narajin.net/archives/images/tentori20120126.png" width="400" height="200" class="mt-image-none" style="" /></span>
<p style="clear:both">1月26日</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="tentori20120127.png" src="http://narajin.net/archives/images/tentori20120127.png" width="400" height="200" class="mt-image-none" style="" /></span>
<p style="clear:both">1月27日</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="tentori20120201.png" src="http://narajin.net/archives/images/tentori20120201.png" width="400" height="200" class="mt-image-none" style="" /></span>
<p style="clear:both">２月１日</p>
]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>ハードルを下げると高く飛べる</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://narajin.net/2012/01/post-457.php" />
    <id>tag:narajin.net,2012://21.6843</id>

    <published>2012-01-17T06:31:23Z</published>
    <updated>2012-01-17T06:34:12Z</updated>

    <summary>アウトプットを増やすこつ。生産性をあげるこつ。ハードルを下げる。つまり自分への期待値を下げる。 いつまでたってもできないことは、自分でハード...</summary>
    <author>
        <name>jin</name>
        <uri>http://narajin.net/</uri>
    </author>
    
        <category term="Design:デザイン" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="知的生産" label="知的生産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://narajin.net/">
        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="点滴なくても調子にのるな" src="http://narajin.net/archives/images/tentori20120117-top.png" width="400" height="400" class="mt-image-none" style="" /></span><p>アウトプットを増やすこつ。生産性をあげるこつ。ハードルを下げる。つまり自分への期待値を下げる。</p>

<p>いつまでたってもできないことは、自分でハードルを無意識のうちに高く設定してしまっていることが多い。その理由は、あらかじめできない設定にすることで、やらない後ろめたさから体よく逃げることができるから。しかも自分の好きなものというのは、自分に求めるレベルもいきおい高くなりがち。思い入れのあるものほどなかなか手がつかないというのはたいていこの論理にはまっている。</p>

<p>久しぶりに運動するとすぐ息が上がって体力の衰えを実感するように、最初は自分の思っているイメージどおりに頭も体も動かない。自分のイメージする自分はもっと動けるはずなのに動けない。頭のなかのハードルが高すぎたのである。</p>

<p>どうすればこの悪循環からぬけだし、やりたいことができるようになるか。目標を下げるのではなく、期待値を下げる。自分への期待値を下げれば、目標を下げずにやりたいことをやる習慣がつく。</p>

<p>期待値を下げるにはどうするか。自分がよしと思う設定の3割からはじめる。イメージしている３割ほど達成できればまずはよしとすること。</p>

<p>400字詰め原稿用紙一枚を毎日書くぞと思ってもなかなか書けない。しかし3割の120字ならばほぼTwitterの文字数になる。これだったら書けるかもという気になる。</p>

<p>Twitterで毎日120字書くと一年で4万字超。400字詰めの原稿用紙だと100枚以上。いきなり100枚書きなさいと言われても筆が固まってしまうが、結果的には長文が書けたということになる。そうして毎日書き続けるうちに120字の枠など頭から消え、字数のとらわれなしに書きたいように書けるようになっている。期待値を下げることで目標をいつのまにか達成していたのである。</p>

<p>自分の演奏をレコーディングして誰かに聞いてほしいとする。３分の曲だと最初の１分だけまずは録音してみる。30秒でもいい。これだけでいろんな発見がある。演奏中は気づかなかったおかしなところ、いいなと思うところなど。だんだんおもしろくなって、続きを練習しようという気になる。次の１分、ラストの１分と録音してさらに聞いて、ということを繰り返しているうちに１曲分の録音ができあがる。</p>

<p>それを他人に聞いてもらい、いろんなレスポンスをもらうと達成感があるし、もっと練習しようという気になる。だから30秒でもいいからまずは録ってしまうこと。</p>

<p>カントールの集合論を基礎に現代数学のパラダイスをつくろうとした数学者のヒルベルトは論文をとにかくよく書いたヒトだった。しかもミスを承知で書いていた。ほかの学者がミスを指摘してくれることを当てにしてとにかくアウトプットをつづけた。</p>

<p>青森県浪岡の画家、常田健は生涯で一枚も絵を売らなかった。すべて未完であるとして死ぬまで筆を入れ続けていた。</p>

<p>そもそも完成などありえないのだ。すべては未完に終わるのだ。宮沢賢治風にいえば「永遠の未完成これ完成」。そう割り切ってどんどん発表する。これがアウトプットの核心である。</p>

<p>シゴトで忙しいときでも一日１５分、絵を描いたり散歩したり楽器を弾くというのは期待値さえ下げればかならずできる。アウトプットもかならず生まれてくる。</p>

<p>人生も三割でよし、とすれば何でもやりたいことを15分でもやったもの勝ちということ。</p>

]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>すごいなきれいだな</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://narajin.net/2012/01/post-456.php" />
    <id>tag:narajin.net,2012://21.6841</id>

    <published>2012-01-12T04:08:51Z</published>
    <updated>2012-01-12T04:18:53Z</updated>

    <summary>自分がすごいな、おもしろいな、きれいだな、と感じるものは、自分の心にもそのすごさ、おもしろさ、きれいさを持っている証拠。ユング風にいうと「世...</summary>
    <author>
        <name>jin</name>
        <uri>http://narajin.net/</uri>
    </author>
    
        <category term="Design:デザイン" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="オリジナリティ" label="オリジナリティ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://narajin.net/">
        <![CDATA[<p>自分がすごいな、おもしろいな、きれいだな、と感じるものは、自分の心にもそのすごさ、おもしろさ、きれいさを持っている証拠。ユング風にいうと「世界に存在するものは、心のなかにも存在する」。逆にいうと「自分の心のなかに存在するものは、外界にも必ず存在する」。</p>

<p>自分がきれいだな、と思うものは誰にとってもきれいではない。自分がそのきれいを自分で創造しているのであって、そのものがきれいなのではない。</p>

<p>誰もがきれいを自分でつくっていることを誰も気づかない。</p>

<p>同じものを見ても感動するヒトもいれば、何にも感動しないヒトもいる。自分の感動は自分で作るものだから。与えたり奪ったりできないから。</p>

<p>自分の感動は自分しかつくれないけど感動は伝わる。感動が伝わるというのは感動のつくりかたが伝わること。それは時空を越えて伝わる。だから二千年前の物語にも感動できる</p>

<p>誰かのやっていることを「いいな」と思うのも、自分のなかにも同じ「いいな」があることに気づくから。</p>

<p>いいな、きれいだな、すごいな、が自分のなかにもあると気づけば有名人やお金やテレビにそれをもとめず自分だけに求めるようになる。これで他人ではなく自分のいいなに興味をもつようになる。</p>

<p>世界を変えたいなら自分を変えるだけで変わる。自分のなかのいいなが世界にも投影するから。世界を変えたいなら、他人ではなく自分のすごいな、きれいだなに感動しつづけること。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>意味という心の斧</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://narajin.net/2011/12/post-455.php" />
    <id>tag:narajin.net,2011://21.6840</id>

    <published>2011-12-30T03:26:03Z</published>
    <updated>2012-02-15T01:18:47Z</updated>

    <summary> 人前で「生きる意味」とか「人生の意味」といった言葉をなんのためらいもなく口にできる人などまず滅多にいないとおもう。照れくさいからなのか、そ...</summary>
    <author>
        <name>jin</name>
        <uri>http://narajin.net/</uri>
    </author>
    
        <category term="Living-Dying:生と死" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="ヴィクトール・フランクル" label="ヴィクトール・フランクル" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://narajin.net/">
        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="IMG_0347.jpg" src="http://narajin.net/archives/images/IMG_0347.jpg" width="400" height="400" class="mt-image-none" style="" /></span>
<p>人前で「生きる意味」とか「人生の意味」といった言葉をなんのためらいもなく口にできる人などまず滅多にいないとおもう。照れくさいからなのか、それともかっこ悪いからなのか。だからアンジェラ・アキの声を借りて歌ってもらうのであろうか。なぜ意味や価値や尊厳といった言葉にたいして斜に構えるのであろうか。</p>

<p>アウシュヴィッツのような限界状況にあっても、人生に意味を見いした人間のほうが生き残る確立が高いというヴィクトール・フランクルの主張は東日本大震災においても実証されるかもしれない。畢竟、生きる意味さえあれば人間はどんな限界をも突破できる。生きる意味を言葉にして伝えるのが宗教家の仕事ではなかったか。</p>

<blockquote><p>宗教者の自分がいまできることは生きる意味をもう一度考える手伝いをすること。立ち上がれない人、社会的、経済的に復興に参加できずにいる人に、細く長く係わっていきたい<br />
東日本大震災の仮設住宅で「<a href="http://sva.or.jp/eru/tohoku/miyagi/miyagi201110191386.html">お茶会ボランティア</a>」を続ける僧侶　<a href="http://twitter.com/#!/bkcn2k">佐藤良規（さとうりょうき）</a>さん<br />
東奥日報201112.07朝刊</p>
</blockquote>

<p>人生に意味があるかどうかということは問題にならない。人生の意味をさがす意味を求めることは病気である。目は目を見ることができないように。意味をさがすことが人生の意味ではない。</p>

<p>この世はなるほど無常であってもよい。しかしニンゲンは無常にさえ意味を見いだす心を何万年もかけて発達させてしまった。それはむしろ意味への意志とでもいうべきものだ。意味への意志というのは後天的に獲得する能力というより、人間の心の構造そのものに根ざした意志であるといわざるをえない。いやむしろ個人的な努力によって獲得するのは無理である。</p>

<p>かつてネアンデルタールなど多種多様な人類がこの世を生きていたのに、なぜホモ・サピエンスだけが残存できたのだろうか。われわれの祖先たちは、みずからの力ではどうにもならない過酷な運命にたいし、「意味」という心の斧を磨製石器のごとく研磨することで乗り越えてきのではないだろうか。</p>

<p>だからこそ生き残った人は一様にそのような希望を「いただいた」「あたえられた」と表現するのではないだろうか。ここに宗教の誕生がある。さらにいえば、彼らが見いだした意味とは、なかんづく他者からの呼びかけに応えることであった。
</p>
<p>呼びかけとは愛する人や家族、そして友人などかぎったものではない。道ばたの草花や夕焼けに赤く染まった岩木山、自分を包みこむあるとあらゆるものからの呼びかけに気づくということである。</p>
<p>
フランクル風にいえば呼びかけとは、自分が人生の意味を追い求めるのではなく、人生の意味が自分に何を求めているかという問いの転換が起こるということ。</p>

<p>これこそ限界状況で体験する意味の爆発、つまり至高体験の正体である。自分自身の経験からいっても、一度これを体験したものは二度と人生を失うことはない。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>今日のところはこれでよし</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://narajin.net/2011/12/post-454.php" />
    <id>tag:narajin.net,2011://21.6839</id>

    <published>2011-12-29T01:35:29Z</published>
    <updated>2011-12-29T02:09:15Z</updated>

    <summary>アイデアが浮かぶということと、アイデアを形にすることはまったく別の仕事。前者を仕事にしてもいいし、後者でもいいし、その両方でもいいが、ニンゲ...</summary>
    <author>
        <name>jin</name>
        <uri>http://narajin.net/</uri>
    </author>
    
        <category term="Design:デザイン" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="知的生産" label="知的生産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://narajin.net/">
        <![CDATA[<p>アイデアが浮かぶということと、アイデアを形にすることはまったく別の仕事。前者を仕事にしてもいいし、後者でもいいし、その両方でもいいが、ニンゲンというものは他者からの呼びかけさえあればどちらでもできるようにできている。自信がなくてもニンゲンはそうできているので自信をもってよい。</p>

<p>ことばにできないおぼろげなイメージを追い続け、いざ紙に写そうとしても筆がまるで動かないからといって悲観することはない。夢のなかで自分が自分のイメージする自分よりも創造的だと感じるならば、それは自分自身がそうなのだという夢のお告げ。それを無視する自分がいたらそれこそ悲観せよ。</p>

<p>本当の勇気は謙虚さとして地上にあらわれる。これは古の賢者たちが伝えるとおりである。デザインもそうだ。自分のちっぽけさを感じるくらい大きな対象と毎日格闘すること。このとき全身にみなぎるものは自信や野望ではなく、謙虚さである。</p>

<p>労苦に満ちた一日の作業もまるで皿洗いのごとく淡々とこなせるようになったら、人生の苦しみの大半は労せずして精算されているといってもよい。それはただ、「今日のところはまずまずこれでよし」と思えるかどうか。それとも「やっぱり今日もできなかった」と考えるか。</p>

<p>夏目漱石が自身の執筆のようすを「器械的」と手紙に書いているのは、つまりそういうこと。まるで軍隊のごとく規律的生活というものが、創作活動にもいえるということ。インスピレーションを待つのではなく、一日の決まった時間を実作業に投じること。神は神を考えていないときにふと訪れるものだ。</p>

<p>デザイナーにとっての働きがいとは、絵空事やスケッチにすぎなかったかたちを誰もがさわったり見たり聞いたりできるかたちに変換できたとき。イメージの世界から物理界へのコンバート。タルティーニの「悪魔のトリル」よろしくいくぶんイメージは間引かれているかもしれないが、ニンゲンはそれでよしとすべき。</p>

<p>だから自分にとって新しい何かに挑戦するとき、全身にみなぎるものはぜひとも謙虚さでなくてはならない。宇宙の神秘のまえにたたずむホモサピエンスのような気分で、あくなき好奇心と冒険心をもって一日の作業をせっせと器械的にはじめること。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>できたことのみ数える</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://narajin.net/2011/12/post-453.php" />
    <id>tag:narajin.net,2011://21.6837</id>

    <published>2011-12-16T02:29:31Z</published>
    <updated>2011-12-29T02:08:10Z</updated>

    <summary> カラダ具合の悪いときは、あれもできない、これもできないと考えるのではなく、ひとつでも何かやったらそれぞれに満足すること。 　会社員であれば...</summary>
    <author>
        <name>jin</name>
        <uri>http://narajin.net/</uri>
    </author>
    
        <category term="Journal:独り居ジャーナル" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="患者" label="患者" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://narajin.net/">
        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="こたつむり" src="http://narajin.net/archives/images/IMG_0015.jpg" width="400" height="400" class="mt-image-none" style="" /></span>
<p>カラダ具合の悪いときは、あれもできない、これもできないと考えるのではなく、ひとつでも何かやったらそれぞれに満足すること。</p>

<p>　会社員であれば会社に行って帰ったというだけで立派にひとつの達成である。たとえその日の仕事がすべてダメダメであったとしても。 </p>
 
<p>　今日はあれもできなかった、これもできなかったとカウントすればきりがない。できたことだけカウントしよう。いったん数えだしてみるならば、よくもこんなにあるものだと自分でも呆れかえるだろう</p>

<p>　最低の一日のなかにもしも小さな達成をひとつでも見いだすことができるならば、それこそ大きな達成であり、大いに誇ってよい。</p>

<p>　買い物にいけた、便がでた、コーヒーが飲めた。痔の人にとってはお通じがちょびっとでもあったというだけで達成だ</p>

<p>他人にくらべて自分はできないというのではない。自分ができたことはすべて自分の達成である。</p>

<p>お通じは自分のもので、他人のではないように、自分のやることすべては自分の達成だから、自分の満足にしていい</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>大切なのは</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://narajin.net/2011/12/post-240.php" />
    <id>tag:narajin.net,2011://21.6836</id>

    <published>2011-12-16T02:18:37Z</published>
    <updated>2011-12-26T01:37:17Z</updated>

    <summary>大切なことは、おたがい何の気なしに、ゆるくつながって、それぞれ生きてればいいんだという。何かをしたり、されたりということよりも、つながってい...</summary>
    <author>
        <name>jin</name>
        <uri>http://narajin.net/</uri>
    </author>
    
        <category term="Social:社会の時間" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="孤独" label="孤独" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://narajin.net/">
        <![CDATA[<p>大切なことは、おたがい何の気なしに、ゆるくつながって、それぞれ生きてればいいんだという。何かをしたり、されたりということよりも、つながっているという気づきが大切というか。これはお金も手間もかからないばかりか、これこそ人生を支える土台じゃないかとさえ思います</p>

<p>自分が苦手だな、嫌いだなと思う人とも、ゆるくつながることはだれでもできる。歩み寄りもせず、拒否もせずといううまい距離感が保てなくなると、相手か自分かを傷つけることになる。</p>
 
<p>なんでもクロシロはっきりさせなくていい。ニンゲンにおいてはとくに。一生に出会える人の数なんて世界人口からすればミクロ単位にも満たない。そのなかで好き嫌いをいったところで関係がよくなることはない。</p>
 
<p>つながりというのは人脈ではない。育てたり壊したりできるものではない。自分が何をしようとしまいと、つながっているということ。ニンゲンだけでなく、ありとあらゆる生きものたちや野原とつながっているということ。生まれてからも死んでからも。
</p> 

<p>そういうつながりを感じる時間を一日３分でもいいからもつということ。たとえ労苦にことごとく打ちのめされた一日の終わりにあっても。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>失敗を食べる</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://narajin.net/2011/12/post-237.php" />
    <id>tag:narajin.net,2011://21.6835</id>

    <published>2011-12-16T01:56:25Z</published>
    <updated>2011-12-29T02:10:15Z</updated>

    <summary>今年は大きな成功と大きな失敗にふちどられた一年だった。成功とはやはり白血病完治であり、失敗とは健康の喪失ある。しゃべることも食べることもでき...</summary>
    <author>
        <name>jin</name>
        <uri>http://narajin.net/</uri>
    </author>
    
        <category term="Living-Dying:生と死" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="ステロイド" label="ステロイド" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="口内炎" label="口内炎" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://narajin.net/">
        <![CDATA[<p>今年は大きな成功と大きな失敗にふちどられた一年だった。成功とはやはり白血病完治であり、失敗とは健康の喪失ある。しゃべることも食べることもできないほどの口腔粘膜炎に寝ても起きても苦しんでいる。原因もわからないまま、薬だけが増えていき症状はまったく改善されずという日々を一年以上くりかえしている。体重も43キロから動かない。正直に白状すると失敗を帳消しにしてもらえるならば成功を投げ出してもいいというほどの泣き顔である。</p>

<p>だが失敗は帳消しにはならない。失敗は失敗である。しかし失敗を失敗として引き受けることだけはかならずできるということをフトンのなかで発見した。</p>

<p>NHK教育「The 女子力」にでていた料理研究家・瀬尾幸子さんが「料理のいいところは食べてしまえばなくなる」ことだと話していた。失敗作も食べればこの世から残さず消えてくれる。だから気にせず次にいける。だから料理はいいんだと語っていた。</p>
 
<p>朝イチ「夢の３シェフ競演」で視聴者からいい質問があった。<br />
「失敗したと思ったのはどんなときですか」<br />
三人とも「失敗なんてありすぎて、ほとんど毎日失敗」。イタリアンシェフの落合さんは「肉を焦がしたとか明らかな失敗はお客さんに出さないからそれはいいとして、お店にだせるんだけど自分的には失敗だったというのはしょっちゅう」。野球にたとえるとバッターは見送ってくれたが失投だったという感じであろう。</p>
 
<p>昔話になるが、自分がまだ駆け出しのデザイナーであったころよく励みにしていたのはアートディレクター・浅葉克己さんが教育テレビで語っていた一言だった。</p>

<p>「朝起きると自分はだめだ、もうだめだと思うところからはじまる。だめだと思いながらそれでもいろいろやっていくうちに、けっこういけるんじゃないかという気持ちになる。だけど次の日の朝にまたもうだめだとおもっちゃんだけど」</p>

<p>住吉美紀さんのエッセイにも似たような一節がある。<br />
<a href="http://narajin.net/2009/12/02-8.php" >住吉美紀エッセイ抜き書き02</a></p>

<p>瀬尾さんのように、毎日の暮らしはもちろん仕事もぜんぶ料理といっしょに考えていいのであって、失敗も成功も、朝昼晩とにかく食べつづけるということ。食べきらないと、次のお椀はでてこないから。挫折もなんでも好き嫌いせずとにかく食べていく。</p>

<p>食い意地が強いことを津軽弁では「ほいど」という。成功にも失敗にもホイドになれということ。逆に成功もせず失敗もせず凡々と生きたニンゲンはどうなるか。ダンテが神曲の冒頭でその末路を描いている。</p>

<p>「天はかれらを追放する。地獄も彼らを受け入れぬ。...こらの者は死のうにも死ねない。その盲目の生は、いといやしいゆえに、他の身の上がみなうらやまれてならぬ。」（寿岳文章訳　ダンテ『神曲・地獄篇』P32）</p>

<p>彼らは地獄に入ることすら許されない。ただ玄関のまわりを叫びの群衆となってたがいを罵り、打ちながら一つの旗を追ってぐるぐると回りつづけることになる。永遠に。つまり、成功も失敗もしない「沈香も焚かず屁も屠らず」のニンゲンは死ぬことさえできない。ニンゲンだからといってみな死ねるとはかぎらないとは前に書いたとおりである。</p>

<p><a href="http://narajin.net/2008/06/post-187.php" >残しちゃいけないもの</a></p>

<p>死にきるには生ききるしかない。生ききるとは成功も失敗も清も濁も何もかも食べきるということである。いま目の前にあるものを四の五のいわず食べるということである。たとえそれに毒が盛られているとわかっていても、皿まで食うという覚悟である。それが生ききるということである。</p>

<p>しかし覚悟した刹那、目の前から杯が消えてなくなったということはこれまで何度も経験した。われわれが人生で遭遇する労苦の何割かは、天の見えざるカードであらかじめ決済してもらえるらしい。もし覚悟を決めただけで精算してもらえるなら、覚悟だけでもしないと損ではないか。</p>

<p>だから失敗も成功もまずは口をつけてみようと覚悟した。これからも。食べれば食べたぶんだけなくなるのだから。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>居酒屋に告ぐ</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://narajin.net/2011/12/post-149.php" />
    <id>tag:narajin.net,2011://21.6834</id>

    <published>2011-12-10T06:38:39Z</published>
    <updated>2011-12-10T11:15:12Z</updated>

    <summary>口腔粘膜炎で酒が飲めなくなってわかったこと。「飲みたくても飲めないニンゲンにとって飲み会は拷問」ということ。 忘年会などでどうしても居酒屋に...</summary>
    <author>
        <name>jin</name>
        <uri>http://narajin.net/</uri>
    </author>
    
        <category term="Foods:おいしいもの" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="口内炎" label="口内炎" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://narajin.net/">
        <![CDATA[<p>口腔粘膜炎で酒が飲めなくなってわかったこと。「飲みたくても飲めないニンゲンにとって飲み会は拷問」ということ。</p>

<p>忘年会などでどうしても居酒屋に行かねばならないときがあるとする。サケを飲めないニンゲンはサケ以外のものを飲むことになる。しかし居酒屋のソフトドリンクメニューにはせいぜいウーロンだのグレープフルーツジュースだのお定まりの貧しい品目しかない。幹事さんに「飲み放題だからどんどん頼んで」と得意げにいわれてもウーロンを浴びるようには飲めないし飲みたくない。</p>

<p>ほかのニンゲンたちは「とりあえず生三つ」とかまあ凡庸に開始して中盤、ショーチューや日本酒やワインをゴーゴどあびて宴たけなわになると上機嫌の酔っぱらいが喉を枯らして持論を蕩々と述べるのであるが、飲めないニンゲンはシラフのままなのでひたすら聞き役に徹するほかなく、それがさらに酔っぱらいの気をよくしてさらに饒舌にするという無限地獄となる。</p>
<p>
じゃあ飲めないぶん食って元とったれと気持ちを切り替えても口腔粘膜炎の痛みで食えるものがほとんどない。それでお会計は割り勘でといわれてもすごい大損気分で帰ることになるから正直いっていま飲み会は行きたくないし、誘われても行かない。そもそも口が痛くて喋るのもつらいんだから。</p>

<p>もしどうしても飲み屋に行かねばならぬのなら、コーヒー飲めるところがいい。相手はサケ飲めるし、こっちはコーヒー飲めるから。だから居酒屋よりカフェのほうが好き。弘前だとTubelaneとか、ジルチとか、キオラとか。深夜までやっててカプチーノやアイスクリームをおいてるところがいい。</p>

<p>コーヒー飲みたい。エスプレッソの濃いの飲みたい。カップの底に黒い沈殿物が残るようなドロっとしたのをブラックで飲みたい。</p>

<p>ビール飲みたい。生エビス、生モルツ、ハートランドをジョッキでコクコク飲みたい。</p>

<p>赤ワイン飲みたい。カベルネ飲みたい。チーズとパンだけで飲みたい。</p>

<p>飲めないものを並べあげてみたところで飲める見こみもないし、酒にいたってはもう頭から消えかけている。でもたまに友だちとサシで飲みに行ったりして、相手が上機嫌でジョッキを仰いでいるのを見ると無性に腹が立つ。それでワインやショーチューを勢いでオーダーしたりするのだが、たった一口で痛みに悶絶して結局相手に差しだすことになる。</p>

<p>だから世の居酒屋に告ぐ。いつまでもウーロン茶とりんごジュースでいけると思うなかれ。なぜノンアルコールビールがファミレスでも人気かよく考えてみよ。車のオトウサン、子ども、病人でも飲めるものを充実せよ。大手ファミレスにつぶされないために。せめてコーヒーおいてくれ以上。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>76.無責任さ</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://narajin.net/2011/12/76.php" />
    <id>tag:narajin.net,2011://21.6831</id>

    <published>2011-12-05T07:43:48Z</published>
    <updated>2011-12-05T07:44:21Z</updated>

    <summary>幸い私は「大学」と縁を切ることができました。外国へ行ったきり国へは帰らなかったから、その分、縁を切るのは簡単でした。おかげで学位論文を書く必...</summary>
    <author>
        <name>jin</name>
        <uri>http://narajin.net/</uri>
    </author>
    
        <category term="DiY:ボヘミアニズム" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="シオラン" label="シオラン" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://narajin.net/">
        <![CDATA[<blockquote><p>幸い私は「大学」と縁を切ることができました。外国へ行ったきり国へは帰らなかったから、その分、縁を切るのは簡単でした。おかげで学位論文を書く必要もなければ、大学の教職にもつかずに済んだわけです。その後は、自分は「私的思想家」-と言えば、いささか大げさかも知れませんが、でもやっぱりそういうものなんだと思ってきました。ヨブは、「私的思想家」と言われていましたが、まあ、もっとも、私的思想家になること、ヨブのエピゴーネンになることは私の野望でした。私がだれかの弟子だったとすれば、さしずめヨブの弟子でしょうね。もし大学の教職などに就いていたら、こういう野望はみんなご破算になり、私にしても、いずれは野望のことなど忘れてしまったでしょうね、教職に就いていたら、しかめつらしい文体と、没個性的な思考の採用を余儀なくされたでしょうから。いつだったか、講座の正教授であるフランスの哲学者に「あなたは個性を失うために給料をもらっているんだよ」と言ったことがありますがね。こういう人たちが、やれ「存在論「だの、やれ「全体性の問題」だのについて論じているんですよ。</p>
<p>私には職業もなければ義務もない、私は自分の名においてしゃべることができる。私は独立の人間で、教えなければならない義務もない。書いているとき、出版される本のことなど念頭にはなく、私は自分のために書く。申し上げておかなければなりませんが、この無責任さ、これが私の幸運であることがわかったんですよ。私は誰にも頼らなかった。すくなくともこの点では、私は自由だった。問題を考えるときは、自分の職業とはかかわりなしに考えなければならないし、まったく周縁人の立場に立たなければならないだろうと思っています。もちろん私は先駆者などではなく、せいぜい......そうですね、ひとりの周縁人というところでしょうか。（2004.01.23記）</p>
<p><cite>シオラン著　金井　祐訳『シオラン対談集』　P251　法政大学出版局　叢書ウニベルシタス586</cite></p>
</blockquote>
]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>98.翻訳されないエネルギー</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://narajin.net/2011/12/98.php" />
    <id>tag:narajin.net,2011://21.6830</id>

    <published>2011-12-05T07:41:09Z</published>
    <updated>2011-12-05T07:41:37Z</updated>

    <summary>野生の動物がうなっているのを見た場合、「なんて美しい動物だろう」って言うよね。「この動物、何を怒っているんだろう」とは思わない。そういうこと...</summary>
    <author>
        <name>jin</name>
        <uri>http://narajin.net/</uri>
    </author>
    
        <category term="Music:音楽と中古レコ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="jazz" label="JAZZ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://narajin.net/">
        <![CDATA[<blockquote><p>野生の動物がうなっているのを見た場合、「なんて美しい動物だろう」って言うよね。「この動物、何を怒っているんだろう」とは思わない。そういうことなんだ。ぼくにはそのエネルギー自体が美であって、そのエネルギーによって結果的に生まれる色合いにはそれほど興味がない。.....
誰にでもあり得ることだと思うんだ。突然、怒りというのではなくて、信じられないような熱情を感じる場合があるよね。これは怒りとは違って、野生の動物のと同じような、激しい、強烈な感じが心を満たす。次にどうするかと言えば、「これはどうしてだろう？」と自問する。この疑問に対しては科学的に、いや論理的に答えるしかないと考えてしまう。どうしてこの熱情を感じるのか？　ああそうか、ここでこうなって、だから、うんうん、そういうことだったのか。じゃあ今日はオレ、もうめちゃくちゃに怒るぞって、ぐあいに。</p>
<p>しかし、そうなってしまうと、エネルギーがあったのに、そのエネルギーを怒りに翻訳してしまったことになる。....</p>
<p>ぼくは人生というのは自分がどう感じているかということがすべてだと思う。その感じを脳が何が扱いやすいものに変えてしまう前の状態のそのフィーリング、それこそがすべてだ。覚醒状態にいるとエネルギーそのものを感じることができるから、もう自分の感情に混乱させられることはなくなる。実際、感情を分析しない限り大丈夫なんだ。（キース・ジャレット）（2004.04.17記）</p>
<p><cite>山下邦彦編『坂本龍一・全仕事』太田出版　P116より<br>
原文は『キース・ジャレット』音楽之友社</cite></p></blockquote>]]>
        
    </content>
</entry>

</feed>

