デリー 鳥の病院
日付: 2008年03月03日
オールド・デリー・ラールキラー城の向かい、バザールの入り口に、ラールマンディールという小豆色のジャイナ寺院がある。門をくぐると、ジャイナがチャリティで運営している「鳥の病院」のお茶目な看板が目に入った。
病院内の鳥はちゃんと種別にわけられており、重傷の鳥は個室に収まっていた。大部屋ではもうすぐ退院とおぼしき鳥たちが、元気そうにバタバタと羽音をたてている。治療費はすべて寄付でまかなっているという。
なにやらオフィサーが早口でまくしたてるので、ははあん、寄付しろっていうことだな、と十ルピー札を差し出した。そしたら違う、違うよという。よく聞くと、おまえは寄付しなくてもいいんだよ、とのこと。とことん旅行者にガメついデリーで、こんなことを言われたのは後にも先にも初めてだった。
それからおみやげコーナーを物色し、「ジャインコスモロジー」なる豪華本を500ルピーで購入。いちどベナレスの古本屋でみつけたものの、そのときは1500ルピーという値段に躊躇してしまった。帰国寸前でやっとお目当ての品が手に入ったのはうれしい。
帰りがけ、木陰でじいさんに水一杯ゴチになった。この暑苦しいインドのなかで、ジャイナはいつもこの一杯の冷水のように涼しげだった。
カジュラーホのジャイナ寺院
日付: 2008年03月03日
カジュラーホのジャイナ寺院
日付: 2008年03月03日
ヴァイシャーリー近郊マハーヴィーラの生地
日付: 2008年03月03日
文献には「クンダグラーマ」という名で登場するが、今は「バショクンダ」と土地の人に呼ばれている。研究所から三キロほど、牛と百姓女しかいない草原の一角に、蓮の台座にのせた白大理石のタブレットがツンと立っている。「リサーチ・インスティチュート オブ プラクリット、ジャイノロジー アンド アヒンサー」研究所のジャイン教授の提唱によって、一九五六年に記念碑が建てられたのだという。
サンダルを脱いでから、碑の正面に進んだ。太陽をたっぷりと含んだ熱いレンガが、火の剣山となって素足を刺しまくる。碑文にはこう書いてある。
マハーヴィーラが、出家するまでの三十年を過ごされたかの場
それと、古い聖典から引用された八つの詩篇。その下には、「ヴィクラマ歴二○一二年、マハーヴィーラ生後二五五五年にラジェンドラ・プラサド大統領によって落成」とある。
ラジェンドラ・プラサドといえば、インド初代大統領だ。ガンディー運動をビハールで忠実に再現し、「西のパテール、東のプラサド」と称された著名な指導者である。後述するが、ガンディー運動は、インド古来からのジャイナ的発想に裏打ちされている。ここヴァイシャーリーでも、意外なつながりを発見できた。
マハーヴィーラの生地
日付: 2008年03月03日
前掲参照のこと
リサーチ・インスティチュート オブ プラクリット、ジャイノロジー アンド アヒンサー
日付: 2008年03月03日
ビハール州政府がヴァイシャーリー近郊に設立したジャイナ研究所。
オリッサ州ウダヤギリ・カンタギリ石窟寺院
日付: 2008年03月03日
オリッサ州ウダヤギリ・カンタギリ石窟寺院
日付: 2008年03月03日
オリッサ州ウダヤギリ・カンタギリ石窟寺院
日付: 2008年03月03日
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日付: 2008年03月03日
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日付: 2008年03月03日
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日付: 2008年03月03日
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日付: 2008年03月03日
ビハール州ラージギル ヴィーラヤタン
日付: 2008年03月03日
ここヴィーラヤタンには、学校、病院、食堂、図書館、ゲストハウス、瞑想室など、ちょっとした大学なみの施設がそろっている。しかも郵便局まであるというすごさだ。またもやジャイナの財力をみせつけられたといった印象である。
このアシュラムは、チャンダナジーというひとりの尼層を指導者にあおいでいる。ぼくが訪れたときは、ちょうどカルカッタに布教中でお会いできなかった。シュバムさんの話だと、彼女の働きぶりはヘラクレスなみということで、博物館の人形もすべて彼女ひとりの作だという。
ヴィーラヤタンの歴史は、彼女のグルであったアマル・ムニジーが、雨安居のためラージギルを訪れたことに端を発している。ヴァイバーラ山の「七葉窟」で彼が瞑想にひたっていたところ、とつぜん「奉仕、教育、啓蒙」の三つを柱としたジャイナ共同体のヴィジョンがとどろいたのだという。
それから十年後、アマル・ムニジーは一九七二年に催された「マハーヴィーラ・ニルヴァーナ二五○○年記念祭」にのぞみ、聴衆のまえで「勇者の家」の構想を明らかにした。そこでチャンダナジーがグルの意志をひきつぎ、翌年にはその夢を現実のものに移したというわけである。
彼はその後も八八歳で亡くなるまで、ジャイン・ダルマを人生の盾とするよう社会に訴えつづけた。美しい詩的断章「永久なる声」のなかで、アマル・ムニ・ジーはこう呼びかけている。
世界の哲学者たちよ、人生の書物をお読みなさい。飢えや、貧しさや、欲望の文字が記された俗人という書物をお読みなさい。神や宇宙の神秘を解きあかすまえに、世人の苦しみを解きほぐしてやりなさい。形而上の穿った分析などから、いったい何がえられるだろう。俗人生と歩をともにしよう。形而上学ではなく
タミル・ナードゥ州カルグマライの石彫
日付: 2008年03月03日
寄進者の職業は大工、陶工、鍛治屋、耕作者などで、商人を営むジャイナがタミルナードゥ州では昔から少ないことがわかる(八世紀パーンディア王朝)
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日付: 2008年03月03日
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日付: 2008年03月03日
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日付: 2008年03月03日
グジャラート州パーリーターナー
日付: 2008年03月03日
グジャラート州パーリーターナー
日付: 2008年03月03日
カジュラーホのジャイナ寺院
日付: 2008年03月03日
カジュラーホでは、禁欲をもって鳴るジャイナでさえもが、かように官能的な彫刻を施してしまう。「ずいぶんエロティックだねぇ」というと、土地のジャイナから「人生の華さね!」という答えが返ってきた