遠くて近いジャイナ和田恭 wada kyo第1回:プロローグ通算1年数ヶ月に及ぶインド滞在のなかで、ジャイナ教との出会いは記憶を辿る限り二度しかない。 インド人と宗教との関わりに興味があったので、ベナレスで暮らしていたときも、そしてインド中を鉄道とバスで旅していたときも、時間を見つけてはヒンドゥ寺院とチベット仏教の僧院を訪れていた。ジャイナ教の存在がわたしの意識のなかでその輪郭を明らかにしてきたのは、インド滞在を終えて、日本での生活にすっかり馴染んでいたころ、困難も多かったインドでの記憶も懐かしく思えてきた頃だった。 改めて思い返してみると、たとえてみれば極彩色の絵具をひっくり返したように激しいコントラストで彩られたインドの記憶のなかに、まるで違う時空に滑りこんだかのように静謐なたたずまいを感じさせる一角があった。写真集やインド学関連の書籍を紐解くうちに、どうやらそれは、多宗教の国インドの中でもかなり少数派に属しているジャイナ教という宗教だということが分かってきた。しかし少数派とはいえ、インド宗教世界のなかにその存在を確かに感じさせる宗教だということも、うっすらとではあるが見えてきた。 第2回:近くのジャイナ(前編)近い記憶の中にあるジャイナとの出会いはボンベイ郊外でのことだ。 短い休暇でプネーの友人を訪れたときのこと、予想もしなかった7月のインドのコンクリート造りの室内の冷え込みと、盆地のため風の流れないプネー市内の汚れた空気のおかげでわたしの肺はすっかりやられてしまい、ついに滞在期間の終わりにはひどい熱を出していた。 よろめくようにしてボンベイに戻ったものの、帰国便の出発までに半日以上ある。このまま空港で空しく時間を費やすよりはと、わたしは重い体を引きずるようにして、空港のハイヤー予約センターに向かった。空港で客待ちしている流しのタクシーを使ってもよかったのだが、たまたま空港内で目についたハイヤーサービスを使ったのは、実のところたいへん賢明な選択だった。というのは、通常街で走っているタクシーと比べてずいぶん割高なこのハイヤーは、その当時のインドではきわめて珍しいことに日本車だったからだ。 短いボンベイ滞在を少しでも楽しむために、とアレンジしたハイヤーは、それまでにインドで乗ったどの車よりも心地よい乗り心地を楽しませてくれた。 突然インドで出会った優れた日本の技術は、日ごろそれを当然のこととして受けとめていては決して気づかない感動を、弱ったわたしに与えてくれた。とはいうものの、その「高級車」をもってしても、荒いインドの道路から伝わってくる振動は、わたしの体を打ちのめした。道中のほとんどを後部座席に埋もれて過ごしていたが、時折運転手が勧めるまま車を留め、地元ボンベイの人たちの信仰を集めているという寺院を訪れた。 しかし人気のある寺というものは通常いつ訪れても混んでいる。それはきっとボンベイだけではなく、京都でもラサでも、世界のどこでだっていえることだろう。しかし特に、インドの混雑したヒンドゥ寺院というものは、じゅうぶんに万全な体調をもってしても、立ち向かうことが困難なものだ。 言うまでもなくわたしは、インドの活気と喧騒の渦に飲み込まれ、揉みしだかれ、ほとんど燃え尽きてしまわんばかりになってようやく参拝を終え、寺院から出ることができた。寺院の入り口にたむろしている、参拝者の靴を預かる老婆に託したわたしの靴にはどこかのインド人の口から吐き出されたばかりの赤いパーンのあとがべっとりと残っていたのは、この修羅場でのささやかなおみやげのようなものかもしれない。 第3回:近くのジャイナ(中編)ほうほうの体でハイヤーに滑りこんだのち、疲労のあまりしばし意識が遠のいていたのだが、ふと我に帰ってあたりを見まわしてみると、どうも市内ではなく、車は郊外を走っているようだった。しかも走るほどにあたりはいよいよ広々としてくる。どうもわれわれは、「飛行場」に向かって進んでいるように思えてならない。まだドライブをはじめて2時間しか経っていない。このまま空港に戻ってしまったら、出発までに4時間近くの時間をもてあますことになってしまう。 ドライバーに向かって確認したところ、やはりあとの予定は空港に戻るだけだという。飛行機に乗り遅れることを心配して大事をとってくれているのか、それともとっとと仕事を切り上げて帰りたいだけなのか、真意は分かりかねたが、ともかくこれ以上どこかに寄る時間はないと彼は言う。 たしかにこれから市内に戻って観光を再開するだけの時間はなさそうだったため、ボンベイ観光はまたの機会に、そして体調が万全のときにじっくり行えばいいと思ったものの、インドの物価にしては法外な料金を支払ってハイヤーを借りていることを思うと、割り切れない気持ちも残った。 そんな気分とますます高まるばかりの熱に意識を朦朧とさせながら外を見ていると、改築中の寺院が目に入った。運転手に聞くと、これはジャイナ教の寺だという。 ジャイナという名前はインド滞在中にしばしば耳にしたものの、実際に足を踏み入れたことはあるかどうか、その時点ではきわめて記憶があいまいだった。 インドに滞在したり旅をするにあたっては、かれらの宗教的感覚に敏感でなければならない。異教徒であるわたしが歓迎されていないと推測できる場所にむりに入り込むことは好ましくないと、いままでどちらかといえば遠慮がちだったということも事実だ。しかし、街の人たちの暮らしに根付いた観光化されていない寺を見ることには関心はあった。そこで、時間がないと渋る運転手に、すぐ戻ってくるからと説得して車を留めてもらった。 その寺院は建物のひしめきあう一角にあったため、いかにも寺院然とした門構えではなく、ともすると見過ごしてしまいそうなあっさりした出入り口が目についた。ちょうど修繕中だったらしく、入り口の半分くらいの面積に建築中の覆いが被せてある。その覆いの影に、礼拝所のような、鐘を吊り下げた小部屋があった。 しかし、外国人であるわたしはそこに入ることはできないと門番は言う。それでは寺院の奥に進むことは可能かと尋ねると、それは問題ないと言う。ただ、入り口で靴を脱ぎさえすればいいということだった。さっそく靴を置いて裸足になり、中に進んでみた。 第4回:近くのジャイナ(中後編)入ってみると、建物がひしめいている一角でしかないように思えた寺院も奥はかなり広々としており、かなりの信者が集まることのできそうな空間があった。暑さをしのぐための工夫だろう、たいていのインドの建築は天井を高く作られている。このジャイナ寺院も同様で、広く上部に空間が抜けた作りが美しかった。 その「集会場」らしき場所はきれいに片付けられていたが、部屋の一角にはメーラー(インドの祭)の準備だろうか、飾り物や机、椅子などが積み重ねられ、白布で覆ってあった。 だれもいない静かなその場所にしばらくたたずんでいたのだが、ふと気が付くと読経らしき声が少し離れたところから聞こえてくる。声に誘われて奥に進んでみると、一段低くなった場所に部屋があり、そこに僧侶が3人ほど座って、朗々とした声で経文を読んでいた。信者らしき人たちが数人、僧侶から少し距離を空けた後方に座っている。異教徒であるわたしは、その人たちよりさらに後ろの部分に遠慮がちに座ってみた。 そこは今まで訪れてきたインドの寺院とはかなり異なった、しかし同時にどこかしら懐かしさを感じさせる不思議な空間だった。 まず、ヒンドゥの寺院と大きく異なる点は、その色彩だった。白大理石を一面に使った床はところどころアクセントに茶色の大理石があしらわれており、それまでインドで出会ってきたデザインとはやや異なった、なにか抽象的な印象を与えるものだった。全体的に白く、そして乾燥しており清潔な雰囲気は、ヒンドゥ寺院やチベット寺院とはあきらかに異なった存在だということを実感させてくれた。そんなシンプルな内装が、そこに置いてある大理石の石像を際立たせている。 目を大きく見開いた、「神」という単語から連想される畏怖に満ちたイメージとは無縁の、愛らしい表情がジャイナの神像の特徴だった。さまざまなスタイルの神像が、大きなものが一体、中くらいものも数体、僧侶が拝んでいる神殿の前に飾られている。僧侶の雰囲気も、どこかしらヒンドゥ僧とは違うものを感じさせる。より、あいまいさを削り落としているような印象を受けた。 読経が終わると僧侶は部屋を出ていき、信者たちも三々五々に散ってゆく。人気のなくなった頃を見計らって、前のほうに進み、神像の前に座ってしばらく時間を過ごした。そこは清潔で、明るくて、なんともいえず気持ちが洗われるような場所だった。 ひとしきり神像の前で時間を過ごしたが、もう少しこの寺院を探索したかった。そう考えてさきほど一人でたたずんでいた広間に戻ってあたりを見回したところ、どこか上のほうに向かう螺旋階段が広間の片隅にあるのが目に入った。ちょうど4、5人のインド人の家族が入っていこうとするところだったので、きっとなにか見るべきものがあるに違いないと思い、最後尾に続いた。 その螺旋階段は狭く、何度もとぐろを巻くように、いよいよ上にのぼってゆく。途中は、簡単な生活用品―洗面道具や掃除道具など―が目に入り、普通の参拝ではお目にかかれない、とくに観光化された寺院では入れない深部を目指しているに違いないという期待が高まってきた。 第5回:近くのジャイナ(後編)とうとう一団は目的地に辿りついたようすで、ドーム上の天井を持つ部屋に入っていった。見たところ、そこはこの寺院の最上階のようだった。男女のジャイナ僧が、あるものは洗濯物を広げ、あるものは床に座っておのおの語り合っており、またあるものは帚で床を掃除していた。とりたてて男女は関わりあってはならないというようすではなく、十分な節度を保ちつつ家族のような親しさを示しあっていた。 出家者はみな木綿の質素な衣服を身にまとっており、女性も男性も髪を落として坊主頭にしていた。屋根裏に住む鳩の鳴き声が静かに響くその部屋にガラス張りの窓はなく、インドの建築で屋上などによくあるスタイルの、壁に透かし文様のような穴をたくさん穿って通気性を高めてあった。きっとそこは、洗濯物を干したり、ちょっとおしゃべりしたりするための社交場で、屋根のある屋上のようなものだったのだろう。透かし模様の穴を抜けて部屋全体に黄色い日差しが入り、人々は平和で静かな午後を楽しんでいた。 さて、わたしがそのあとにつき従った家族は、ある一人の若い出家者の女性に用があったようすで、彼女を取り囲んでなにか話しはじめた。この女性が特別な存在なのかもしれないと感じたわたしは、一団からやや離れた後ろに座を占め、その場を見まもることにした。するとあるタイミングで、全員がいっせいにわたしを見つめていることに気がついた。そして一家の主らしき男性が英語でわたしに向かって、どうしてここにいるのか、そしてどこの国から来たのかと尋ねてきた。 いったいにインド婦人はたとえ英語ができなくても、比較的外国人に向かって物怖じせず社交的に振舞うものだが、このジャイナ教徒たちの場合は、非常に物静かで控えめだった。わたしと男性が話しているようすにじっと耳を傾けてはいるものの、話に割り込んでこようとはしない。かといってそっけないというわけでもなく、目が会うとやさしく微笑んでくる。そのようすが、自分のインド人のイメージと離れているため、とても印象に残った。 さて、その男性との会話のおかげで、わたしがかれらにつき従って上ってきた場所は出家者の居住空間だということが明らかになった。そして彼らが訪問していた若い女性は親戚の出家者なのだということも分かった。いわば、部外者、しかも異教徒が、出家者の個人的な空間にはいりこんでしまっていたのだ。 やや申し訳なく思いつつ、この寺院で感じた、静けさや平和さなどといったジャイナ教の印象について話し、とても好もしく思っているため、もっと知りたくなってついてきてしまった、と伝えてみた。すると彼らはいっそう嬉しそうに微笑み、場に満ちていた親しげな雰囲気はさらに高まったように思えた。 出家者である女性は非常に若く、高校を出てすぐ出家したといっていたからまだ十代なのだろうが、その落ち着きと力強い瞳の輝きはとてもその年頃に見えるものではなかった。若くして道を定めるほどの意思を持っているのだから、当然かもしれないのだが。 事情が分かるにつれ、偶然にせよこの親密な場所に紛れ込んでしまったことの非礼を悟り、丁重にお礼を言ってその場を去ることにした。去り際の一瞬は忘れがたい。彼らは、はるばる日本から来た旅人が、インド、そしてジャイナ教を愛していることを大いに喜んでおり、この珍しい出会いを感謝していることが伝わってきたからだ。最初は恥じらっていた婦人が、最後にははにかみながらも片言の英語を使ってわたしに挨拶をしてくれたときには、切ないくらい感動した。 半時間程度の短い滞在だったが、通算1年数ヶ月におよぶわたしのインド滞在のなかで、忘れがたい輝きを放っている時間となっている。 そんなわけで、まるでインド世界のなかのエアポケットのようにジャイナ教はあらわれた。不思議なことに、寺院の外でわたしを待っていたハイヤーの後部座席に再度座ったときには、発熱が少し収まっていたのだった。 |