Jain Diary:ジャイナ日記「一日一ジャイン」をモットーにはじめたものの、「飲み会と更新をどう両立するか」に苦悩する毎日。そんなヒマがあったら他のコーナーを充実させるべき、という声も多い。
75.文字ぎらいぼくはもともと文字ぎらいであった。幼少のころはいわゆる知恵遅れというやつで、同い年のやつらが歌っているころでも、言葉が満足に出てこない状態であった。小学校になってからもその差は縮まらず、みなが漢字で自分の名前を書いているのに、ぼくはいつまでたっても、ひらがなしか書けなかった。 習字の時間はまさに地獄であった。左利きの私に、先生はむりやり右で書かせようとする。それも無理はない。漢字はもともと左手で書くようにはできていない。もっと大胆にいえば、左利きのヤツは文字を書くな、と文字そのものがケンカを売っているようにみえた。文字はつねに、劣等感の対象そのものであった。 高学年になっても、みなが授業をしているときに、ぼくは机を離され、バケツに水を汲んでは風景画を描いていた。クラスのみんなが国語の授業をしているとき、水を汲むためにクラスメートたちの前を横切っていた。(2004.01.21記) 74.散歩会社を辞めてからよく散歩している。 だいたい毎日2時ごろまで仕事して、そのあと二駅ほど歩いて昼飯を食いに行く。いつも鞄に雑誌2冊くらいいれといて、食後にお茶を飲みつつページをめくる。 帰りは大きな本屋さんに行く。ついつい買ってしまう。 こないだは趣向をかえて銭湯に行ってみた。露天風呂があるいま流行りのつくりである。 「この人たちはいったい何を生業としているのか」 と考えてしまったが、それはお互いさまというものであろう。 アパートの隣の人がこれから採用面接だという。一年ほど前にリストラされて、その後も決まらずじまいだった。やはり中高年の再就職は並大抵ではないらしい。 「決まったらお祝いしよう」と約束し、送り出してやった。 73.Jain Art更新しましたひさびさに日記じゃないページを更新。シッタンナバサル石窟寺院フレスコ画の写真です。日本ではいうにおよばず世界的にみても超レアーだと思いますのでぜひご覧下さい。未完のまま残されたウプサラ(天女)の素描が美しかったのを思い出す。図版の順番がメチャクチャだけど、まずはアップということでご勘弁を。しかもダブリまくり。(2004.01.20記)72.情報情報は、電子化によって本来の「弱さ」を身につけつつある。それは、不完全さではなく、柔軟さに似たものだ。これまでインクの粒子に封印され、変化することを禁じられた情報が、電気の粒子のままで配布されることで、流れる水のごとく形を変え、常に動き続けることができるようになった。 これによって、個々の情報はもっとあいまいで、正確さに欠け、信頼性のないものになるだろう。しかし、それぞれの情報が不完全さを基調としながらオブジェクトとして互いにメッセージを交換し、響きあいながら変容していくという構図は、いわば生命活動と言い替えてもいいものである。もともと情報理論は生物理論をもとに発展したのであるから、現代の状況はその結果でしかないのであろう。 情報(生物)は常に生命圏を形成しようとする。情報の電子化はわれわれが望んでいるのではなく、情報が望んでいるのだ。「はじめに情報ありき」。情報が受肉せずに存在できるということは、とても霊的な問題であるともいえる。情報の身体離脱。 これからの情報は不完全さをむしろ基礎条件として動き出すだろう。完成したから出すのではなく、不完全さを永遠に修正していくような情報とのつきあい方が生まれる。オブジェクト指向のやろうとしていることもこれなのだ。つまり、不完全さまでも完全に写像することなのである。世界をあるがまま電子空間に投影すること。(2004.01.19記) 71.料理人「詩人は、その詩句を、心ゆくまで彫琢することができる。また、作曲家は、ハーモニーが気に入らなければ、その小節を線で消すことができる。そして、画家も、気に入らない色の上に、別の色を重ねることができる。しかるに、料理人は、手直しをすることも許されず、いささかの猶予も与えられない。今か今かと待っているお客さんに、少しの遅れもなく料理を出すのが、彼のつとめである。したがって、料理人が、その仕事を全うしようとするときに要求されるのは、偉大なる芸術家の持つ知性と感性、加えるに、総司令官の素早い読みと、何事にも動じない冷静沈着さとである。」(グリモ・ドゥ・ラ・レニエール)(2004.01.18記)70.「15分」「扉は開かれ、この15分間に、私は何年も大学で学ぶ以上のことを見、また知った」とドイツの神秘家ヤコブ・ベーメは語っている。『ヤコブ・ベーメ』(P43) 15分で悟る人もいるのだから、たかが15分とバカにできない。「ひと仕事」の単位としては、充分な資格をもっているといえるであろう。(2004.01.17記) 69.信仰「アフリカ史」にその名を残す、偉大なる皇帝メリネク三世は、いわば近代エチオピアの父ともいうべき人物である。しかし彼には、実に奇妙な癖があった。体の調子の悪いときには、きまって「聖書」の数ページを食べた。そうすれば必ずもとのいい状態にもどると信じて疑わなかったのである。 一九一三年の十二月、彼は脳卒中に襲われた時、「列王記」全編を食べてしまった。そして、死んだそうだ。(出典不明)(2004.01.16記) 68.眠り、夢自分の時間を切り売りするなら、どの部分を売るべきだろうか。マグロにたとえれば、まずトロの部分は自分の好きなことをやるのに必要な美味しい時間といえるであろう。睡眠時間は、いちばんムダで食えない時間に見えるので、ちょうどホネの部分といったらいいかもしれない。だけども、ホネは食えないが、ないと肉のつく場所自体がなくなってしまう。「無用の用」というやつだ。骨太に生きるには、まず睡眠を充実させねばならないだろう。そうすれば人生の肉付きもよくなるというものだ。ホネまでしゃぶるとは、まさに眠りをむさぼることである。 それでは、どうやって睡眠を充実させることができるだろう。よく夢の効用をとく人がいるが、そんな人は白昼夢に悩まされる。逆に夢のない、意識が消失するほど深い眠りをするひとは、覚めてる時間がすべて夢になっている。ぼくはそっちのほうがいい。夢をみるよりも、夢に生きたい。(2004.01.15記) 67.編集とは?何を集めるのか? コトノハを集めるのである。 言葉の編み物 言葉には二種類ある。「ことのは」と「こと」である。ことばを叙述したものが「こと」。言魂になる。古代日本人にとって大事だったのは叙述であって、単語ではなかった。この叙述を「いふ」「かたる」「つげる」から「書く」へ。 「ことのは(言葉)」−かたこと(片言)。動きが与えられる−まこと(真言−マントラ)。方向が与えられる。つまり、「主体」と「動作」、つまり静と動が一体になること。 EDITはGIVE OUTのこと。語源は EDERE−EDO。日本古代で「EDO」にあたるのは、おそらく「ムスビ」。「産霊」という言葉をあてた。ムスビはもちろん結びを意味した。 編集とは、カタコトを関係の糸で「編み」、それを「集」成し、マコトにすることである。この行為がムスビ(産霊)。「文章を結ぶ」「結論」「結びの言葉」。お結び。 宗教−RELISION−語源relegere−結ぶ、縛るの意味−。 言葉の受肉。 論理(ロジック)−言葉・理性(ロゴス)−レゲイン(集める) 欧米で「THE WORD」といえば、神を意味する。 「初めに言葉(ロゴス)がおり、言葉は神と共におり、言葉は神であった。この方は初めに神と共にいた。すべてのものは彼を通して存在するようになり、彼を離れて存在するようになったものは一つもない。」(ヨハネ福音書1−1、2、3) アフリカのドゴン族の神話によると、創造主アンマは、記号を書くことから創造をはじめる。アンマは八種類の穀物の種子を作るのだが、これらの種子は、八つの言葉の証拠または象徴だと解されている。(『青い狐』せりか書房)(2004.01.14記) 66.なぜ?哲学および数学の諸問題、命題は、まさに言語そのものの構造から増殖するカビのようなものか。答えることのできる問題よりも、答えられない問題のほうが常に多いのはなぜか? なぜWHYはBECAUSEよりもおしゃべりなのか? この問いもまたWHYのひとつになってしまうのか?(2004.01.13記)65.知ること動物や植物だって、人間と同じくいろんなことを知っている。食べちゃいけないものや、天敵からの身の守り方とか、生まれながらにして必要なことは何でも知っている。必要になれば、学習だってするし、知識もためこむ。しかし彼らは、知っていることを知ることができるかといえば、ノーなんじゃないか。メタレベルで知の風景を鳥瞰できるのが人間の存在証明であり、また人間ゆえの孤独を生む原因でもある。(2004.01.12記)64.もっと魚をとりたまえ
アーニー・J・ゼリンスキー著 前田曜訳『ナマケモノでも「幸せなお金持ち」になれる本』英治出版 63.骨折り数日前に歯医者に行ったら「奥歯に病巣があります」といわれ治療することになった。その時点ではなんともなかったのだが、夕方ころ芥子漬けをつまんでいたら猛烈に腫れだした。誰でもみな経験がおありだろう、こんなときはただ激痛に身悶えるしかない。翌日すぐさま病院に行き、腫れ上がった患部を切開して内圧を下げる処置をしてもらった。麻酔やら点滴やら計4本の注射をされてやっと解放されたが、帰りがけトイレで鏡をみたら左の頬だけ宍戸錠である。これでは人前に出るのも億劫になるというものだ。 しかし、こんなときにかぎって人前で何日も話すような仕事が入ってくるから不思議なものである。「人生において、あらゆるものは同時にやってくる」というのが書き手のモットーなのであるが、その同時にやってくるものは、互いに矛盾してるというのもまた経験上明らかなことだ。 こういった場合、どちらかを捨てて片方のみを選択する、つまり一匹を追うのは誤りではないか。どんなに骨折りであろうともやはり両者をこなすべきであろう。なぜなら、どっちかが落ち着いたらもう片方を、と考えたりするとたいていどちらもうまくいかないからである。 たしかに両者を同時にこなすというのは最も勇気のいる選択ではあるが、最も易い道であるともいえる。同時にやってくるものは、また同時に去っていくものだ。これらをどうにかやり終えた人にしか味わえない幸福感というものが、この世には確かに存在する。度重なる骨折りには、それに続く平穏な日々という報酬が支払われるのである。(2003.11.02記) 62.無題
シオラン著 金井 祐訳『シオラン対談集』p5-7 法政大学出版局 叢書ウニベルシタス586 (2003.10.15記) 61.金は時なり
ギッシング作 平井正穂訳『ヘンリ・ライクロフトの私記』P273 岩波文庫 (2003.10.04記) 60.ジャイナ検索ちかごろ仕事で多忙を極めていたが、クライアントの内部抗争のため一時中断。このすきに我がジャインワールドにも全文検索機能を搭載することにした。とはいっても中身は「Google フリー検索 (カスタマイズ版)」なので設置までたった30分ほどで完了。あっけないものであった。 ひさびさに映画を見た。「サラマンダー」は、ブロンド美人を残してアメリカ人が全員死ぬというものであった。マシュー・マコノヒーは準主役級の扱いだったが、最後の最後で竜に食べられてしまった。イギリス人やフランス人は生き残ったようだ。 エドワード・バーンズの監督モノは必ず見るようにしている。ハンサムだし脚本もいい。しかし最新作「サイドウォーク・オブ・ニューヨーク」にはちょっとがっかりした。彼の作品はいい意味で映像表現にアマチュアっぽさが残っていて好きだったが、だんだん作為を感じてきた。本作でも街頭インタビューをプロットとして巧く演出しているが、ドキュメンタリー風の素っ気ないカメラアングルが逆に鼻についてしまう。「自分はいま作り物を見ているのだ」というスピルバーグ映画につきものの感情をいだかずにはおれない。 観ていることを忘れるくらい、没入できる映画が好きだ。しょせん映画とて作為の産物であるが、スクリーンの上ではその臭いをさせてはいけない。(2003.10.01記) 59.泣きちかごろどうも涙もろくていけない。今日もジャイアンツ川相の引退に涙し、テレビドラマの再放送にまた泣いた。昨日も『ノッティングヒルの恋人』ごときでボロ泣きしてしまった。 歳をとると涙もろくなるというのは否定しがたい事実である。しかし、涙する理由は、歳とともに変化していくのであろう。若いころは悔しさ、寂しさ、悲しさで泣いたが、三十路もこえると悲しい映画を見ても「なんでこうなるの」とハラが立つだけだし、失恋しても憂鬱で無表情になるだけである。逆に、長年の努力が実を結んだり、仲間どうしが助け合ったり(書き手は特にこのネタに弱い)、ラブコメの幸福な結末には号泣するのであるが、みなさんはいかが。 泣きたいときに涙を押さえるのはたいへんなストレスになり、心身に悪いときく。逆に、よく泣くのは健康にたいへん好ましいそうである。吉幾三もよく泣く人だが、大酒のせいで相殺されているのであろう。(2003.09.14記) 58.むかしむかし
57.数覚をもつということそもそも数学的な美とは、そのネイキドさにある。贅肉をそぎ落としたシンプルな数式ほど、それはイデアにつうじており、理想世界の言語に近づいている。イタリアの哲学者ヴィーコはいう。
たしかに人間は肉をまとっている以上、ヴィーコがいうように純理では割り切れない存在であろう。それを知ってもなお、純粋に霊を裸にしようと奮闘するのがジャイナのジャイナたる所以なのである。 数学者というのは、いちばん明晰で現実的なことを考えているようで、実はほとんどみなプラトン学派だ。だいたいにして、証明できるかどうかにかかわらず、解は存在するとか、神はご存じだとか考えること自体、プラトニスト以外のなにものでもない。「不完全性定理」で知られるゲーデルなどは、二十世紀最大のプラトニストであろう。現代のルイス・キャロルといわれる論理学者レイモンド・スマリヤンは、彼のことを「数学的現実主義者」と共感をこめて描写している。もちろん本人も絶対なるプラトン学派を自認してやまない。 彼らは数という「非現実の現実」に生きる人々なのだ。「怠け数学者の記」のなかで小平邦彦名誉教授は、この数を実体視するプラトニスト感覚を「数覚」とよんでいる。
数が「実在する」という言葉を事前のこととして語っているどころか、それを「見る」というのだから、教授もバリバリのプラトニストだ。 聴覚によって音楽を楽しむように、数覚によって数学を楽しむ。まるで「ガリバー旅行記」にでてくるラピュタの住人たちみたいだ。魂の数学者たるマハーヴィーラも、やはりそんな皮膚感覚をもつ人だったのだろうか。 インドでは人類の始祖を「マヌ(manu)」というが、渡辺昇一氏の知られざる名著「英語の語源」によると、これは英語の「人間(man)」と同じく「men-(考える)」が語源であるという。さらに「数学(math)」(*)も、やはりこの「men」が語源となって派生したという。つまり、アーリア人やギリシャ人などのインド・ヨーロッパ語族にとっては、数を数え、思索することが、そのまま人間の存在証明になっているのである。 ジャイナの教理も、そんな印欧の人間観が底になっているのかもしれない。ニガンタ教はパールシヴァまで綿々と伝わったインド古来のものだろうが、マハーヴィーラは、それをインド・ヨーロッパの明快な論理で整備することにより、ジャイン・ダルマに更新したのではないだろうか。ちょうどユダヤの地方宗教にすぎなかったキリスト教が、聖パウロのおかげでギリシア的な明快さを身につけたように。(2003.09.08記) (*)インドでは学院をmath(マート)という。これも同根であろう。 56.数なるゆえに、われ信ずブッダの教えが詩であるなら、マハーヴィーラのは数式だ。 ジャイナは道理よりも、純理でダルマをつかまえようとする。その思索スタイルはまさに数学者のそれに近い。シュラヴァナ・ベルゴラの高僧チャルキールティ・スワミ・ジーはいう。
万物は数である、とは言ってないが、万物の尺度になりえるのは数しかない、とハッキリいいきっている。言語としての数の適用だ。このようにジャイナはまずお坊さんからしておよそ宗教者らしくない。研究室にこもりっぱなしのプラトニスト、といったイメージである。 中世インド数学の担い手も、じつはジャイナであったという。ジャイナ経典「アヌオーガッダーラ(三世紀)」には、種々の数理が展開されているが、なかでも白眉なのは「無限」の考察だ。かれらは無限集合に「限定無限・固有無限・無限的無限」の三つの規模を数えるという、現代数学ばりのセンスをみせていたのである。 古代ギリシアの数学者たちは、多くのパラドックスを生じさせる「無限」という概念を、できるだけ数理から追い出そうとした。それゆえ鬼才カントールが無限集合論を完成するまでの約二千年、西洋において無限は「数」と認められていなかった。いっぽう未熟ではあるが、ジャイナは三世紀にして「無限」を数理におさめていたということになる。 マハーヴィーラの教えを数学的に再構築し、ちゃんと公理をたてて論証する。現代にはそういう律義なジャイナもいたりするから驚きだ。もしマハーヴィーラがいま生きていたら、そんな信者たちを思ってパソコンの所有はいいよ、と説くかもしれない。 インド人はゼロを発見した民族だ。現在、その末裔たちはシステム・エンジニアに衣替えして、その優秀さを世界にみせつけている。おそらくインド人には、天賦の数学センスがあるのだろう。数学者ラマヌジャンを生んだ実例もある。それに抽象思考にめっぽう強いところは、彼らの宗教からもイヤというほどうかがえる。いずれインド産のどえらいコンピュータソフトが生まれるかもしれない。「ブラフマン」なんていうサイキック・ソフトが登場するのではないか。 ちかごろ日本でも、インド医学「アーユル・ヴェーダ」がもてはやされるようになった。この医学の基本原理は、「サーンキヤ」といわれる思想をベースにしている。サーンキヤとは、もともと「数える」という意味であり、転じて純粋哲学をあらわすようになった。精神原理と物質原理の開展から万物が生じたとする、二元思考がこの哲学の特徴だ。また「バガヴァット・ギーター」のなかでクリシュナも、みずからの叡智をサーンキヤと呼んでいる。どうもインド人は、真理を「数える」民族らしい。 こうしてみると、我々が日頃「宗教」というばあいと、インド人が宗教の意味でつかう「ダルマ」には、かなりニュアンスにへだたりがあるような気がする。「秩序」や「原理」がない不合理な思想を、決してインド人はダルマといわないのだ。 「不合理なるがゆえに、われ信ず」といったのは、教父テルトリアヌス。主知主義をもって鳴るジャイナがきいたら、さんざんコキおろしそうなセリフではある。(2003.09.07記) 55.ピタゴラスと豆マハーヴィーラは七種の線、五種の幾何学図形を発見した人物だと伝えられている。これはピタゴラスを連想させるプロフィールだ。ジャイナは神秘思想に無縁だったが、数の神秘は別だったらしい。 ピタゴラスというと「三平方の定理」が有名だが、輪廻転生も説いていたといえば、ぐっとインド臭くなるであろう。彼の輪廻説によると、霊魂は空中に漂っており、時がくればあらゆる生物の胎内におもむくという。馬、ロバ、ねずみとして生まれた霊魂は、また転生して人間のなかに舞い戻る。よって家畜はおろか、ハエなどの昆虫にいたるまで、すべての動物を殺すことは殺人にもひとしい。このように彼は生類の不殺生を説き、生涯ベジタリアンで通したという。 それだけではない。彼はそら豆などのマメ科植物を決して食さなかった。なぜなら「人間とマメ」は、同じ腐敗物から生まれた兄弟同志である。それゆえ、そら豆を食することは、これまた殺人になると考えたのだ。 ジャイナの上をいくこだわりようである。確かにマメ科の植物というのは、「畑の肉」とよばれるほどタンパク質に富んでいる。『はるかなる視線』のなかで人類学者レヴィストロースも、豆を禁忌する民族が確かに存在することを示している。しかし皮肉にも、そのマメがピタゴラスの命を奪うことになった。 彼の教団は市民の人気が高く、権力者の恨みを買うことが多かった。そのためピタゴラスは迫害者の手から逃れようとするのだが、ゆく手を豆畑によってさえぎられてしまう。この畑をこえなければ殺される。しかし彼は豆を踏みつぶすより、みずから死ぬほうを選んだのである。ついに迫害者は、この風変わりなヴェジタリアンの命をうばった。 これが有名な、「ピタゴラス、マメ畑に死す」の逸話である。これについては寺田寅彦が「ピタゴラスと豆(昭和九年)」と題して味わい深い文章を残している。
禁を犯すより、敵の手にかかって死んだほうがましと決めて、ピタゴラスは豆畑に散った。寺田寅彦が語るように、純粋者の生きる道筋は悲劇と同時に、喜劇でもあるといえるのではないか。つまり、第三者からみればまさしく「バカげた行為」だということだ。 餓死したヴェイユ、ゲーデルといい、数学者カントルといい、「純粋の豆」に生きた人の最後は、ピタゴラスのように哀しい滑稽さがある。それは現世をあるがままで受け入れることを拒絶した人間の、ぬぐいがたい最後なのだろうか。純粋な狂気を甘受できるのは、ただ死だけなのだろうか。(2003.09.06記) 54.裸の男の子
田島照久編訳『エックハルト説教集』P263 岩波文庫 53.アレクサンドロスとジャイナ紀元前四世紀ごろインドに侵入してきたアレクサンドロスの一行なども、極度の禁欲を旨とするジャイナ僧にはかなり驚嘆させられたようだ。いくぶん興味本位から、彼はダンダミスというジャイナの指導者を西洋へ連れ帰ろうと説得を試みるが、ダンダミスはただ、「なぜかくも遠くまで旅行するように望まねばならなかったか」と彼に尋ねたという。
なんだかディオゲネスの有名なエピソードの焼き直しという気がしないでもないが、こと思想面に関しても、インドの哲人たちは「野蛮人たち」から何も(天文学以外は)欲しなかったという。逆に、ギリシア人の側にはインドの思想に感化されたものは少なからずいたようで、当時アレクサンドロスの従者であったピュロンというソフィストなど、西北インドの都タクシラにおいてジャイナ僧と対話を重ね、その哲理を「懐疑主義」という形に翻訳してギリシア哲学にプラグインしてみせたという説もある。その後デカルトをはじめとする西洋哲学への影響ぶりはご存じのとおりである。 さて、このようにインドの外には無関心と思われるジャイナだが、現代においては布教活動のために乗り物をよく利用するし、アメリカでもフィリピンでも、頼まれればどこでも出かけていく。しかし一方で昔気質なジャイナたちは、徒歩以外の移動手段に頼ることを頑なに拒んでいる。神話は生きているのだ。(2003.08.25記) 52.二読三読ちかごろ就寝前、布団にうつ伏せになり、マーカーを握りつつヒルティの『幸福論』を二読三読するのが誠に楽しい。この本はタイトルに似合わず仕事の仕方、時間の使い方についての至言に充ち満ちており、何度となく読んだはずなのに、ページを開くたびにまた新たな発見がある。語り口のゴツゴツしているところなど、マルクス・アウレーリウスを彷彿とさせて大好きだ。ブックオフでまとめ買いしたにもかかわらず、いまだに第1巻から抜け出せないでいる。おそらく一生無理であろう。 小生は多読ということができない性格で、同じ本を何度も読み返してはその度に感動しているというなんともオメデタイ人間である。音楽にしても同様だ。モーツアルトやスティーリー・ダンを毎日聴いても飽きるということがない。 ジャイナもまた、ヒルティと同じく興味がつきることはない。その想いが高じてホームページなどを運営してはいるが、私にとっては布団にうつ伏せになりつつ赤線をひっぱっているのと同じ気持ちでやっているにすぎない。いくらか箱庭的ではあるが、それでもGoogleにはちゃんとヒットするし、微力ながら日本人のジャイナ理解に貢献していると私は信ずる。 しばらくの間、ダルマのページからこぼれ落ちた雑文の受け皿として、このページを使わせていただく。「なんか前に読んだことあるなあ」という方もおられると思うが、そのまま読み飛ばしていただきたい。(2003.08.24記) 51.自殺行一九五五年・九月一八日。マハラーシュトラ州の聖地クンタラギリにおいて、ある年老いたジャイナ僧が自殺した。 彼は空衣派の指導者であり、名前はシャーンティサガラ(平和の海)。三五年にわたる修行生活のラストに彼が選んだのは、二五○○年前にマハーヴィーラが行ったのと同じ、「自殺行」であった。 彼は無一物だった。下履きさえまとわず、インドじゅうを裸形で遊行していたという。一日に一回だけ布施をうけ、手を椀にしながら彼は食事をした。ことばを語るのは日中だけで、日没後は死人のように寡黙であったという。 そして、ついに自殺行がはじまった。八月一四日から九月七日までの一ヶ月弱、彼は水しか受けとっていない。七日からのちは空気だけ、つまり完全な断食に突入した。 そして九月一八日未明。確とした意識のまま、シャーンティサガラは祈祷を唱えつつ、みずからの呼吸を断ったという。 信じられないが、これは事実だ。彼らのあいだには自殺マニュアルさえ伝えられているのである。「岩波講座―インド思想I」より、その部分を引用しておこう。
ジャイナは死にざまに異常な感心をそそぎ、修行の究極は断食死であるとさえ豪語する。飢餓自殺の物語のみを集めて、編集した経典もあるほどだ。(2003.08.24記) |