Vienna
ジョン・フォックス(Vo)の脱退で余儀なく休止状態におちいったウルトラヴォックス。ところが、ビリー・カーリー(Key,Vln)がスティーヴ・ストレンジのプロジェクト、ヴィサージに参加したことがきっかけで、元リッチキッズのギタリスト、ミッジ・ユーロ(Vo,G)と出会い意気投合。俗にいう第2期UVが始動する。
2005年3月アーカイブ
ジェリコの要塞を陥落させた力。ソロモン王から悪霊を取り除いた力。古えの音楽に宿されていた魔力が現代ではとうに消え失せ、見るべきものもは何一つとして見いだせない、とポポル・ヴーのリーダー、フローリアン・フリッケは考えていた。そこで彼は、類い希なる霊感と強靭な意思を頼りに、2千年前の音楽を奇跡的に復活させる。彼が長年にわたって求めつづけた真の音楽が、本作と次作「Agape Agape」で遂に完成したのである。巷で人気の高い「ホシアナ・マントラ」は、そのマニフェストにすぎなかった。
Delay 1968
CANというグループ名には、"できる"という意味のほかに、各々が学習のなかから得たものを"投げこむ"という意味もこめられている。本作は1st「モンスター・ムービー」以前の未発表音源を収録したCAN創世記の貴重な記録だが、各自の学習成果など微塵も感じられず、あるのはすべてを素粒子レベルまで還元しようという破壊衝動のみだ。ベルベッツにも比肩しうるこの甘美な毒性は、ネルフェニヒの古城がもたらした病理の産物かは知らぬが、アルバムにして15枚分の排毒を終えた時点で、CANはその存在意義を失った。(奈良)
Zuckerzeit
チープなリズム・ボックスにギターのうねうねリフが非常に気色悪い。ヘッドフォンで聴いていると正に拷問だ。音のメッセージを探ろうとしてしても無意味だ。演ってる本人たちの頭の中は空っぽだ。激しい戦場の中を何事もないように観光旅行に興ずる某国の集団、エジプトのピラミッドのそばに置かれた自動販売機。クラスターはそんな奴らなのだ。"私に何を伝えたいの?"と問いかけても、何も帰っては来まい。心を大切にする人間の感性ではとても理解できる音楽でない。これが傑作だといえるあなたはもはや地球人ではなく、大くま座星人だ(井出)
エドガー・フローゼのソロ全作品中、もっとも入手困難でありながら(*1)、もっとも愛されている作品、それが「イプシロン・イン・マレーシアン・ペイル~青ざめた虚像」である。
本作が発表された75年は、タンジェリン・ドリームがバンドとしての絶頂期をむかえたころだ。1月に5th「ルビコン」、10月にはライブアルバムである6th「リコシェ」を制作し、ロック・ミュージックの世界に決定的な足跡を残した時期である。
同年、6~7月にかけて制作されたソロ2作目「イプシロン~」は、これら傑作群に劣らぬどころか、幽玄美という点ではむしろぬきんでている。この静謐(せいひつ)さの前には、いかなる批評も虚しい試みに感じられてしまうであろう。
なんともビックリするニュースが飛び込んできた。
80年代タンジェリンの絶頂期を築き上げた真の立役者とでもいうべき男、ヨハネス・シュメーリンク。彼が脱退してからのタンジェリンはいまいちパッとしなかったこともあり、今でも名残惜しさをひきずっているファンは多いのではないだろうか。
COMMENTS