エドガー・フローゼは、ジャーマン・エレクトロニクス・ミュージックの重鎮ともいうべき偉大なバンド、タンジェリン・ドリームの中核メンバーである。彼の三十数年におよぶ輝かしい活動歴のなかで、ソロ作品をリリースしていた時期は意外なほど短い。もちろん、まだ現役のミュージシャンであるし、2003年には「Ambient Highway」シリーズをソロ名義でリリースしてくれたりと、今後も何かやってくれそうな気配はある(*1)。だが、やはり74年〜83年のあいだに発表された7タイトルこそ、未来に語り継ぐべき音群であろう。
「スタントマン」は1979年に発表されたソロ5作目にあたる。当時のタンジェリン・ドリームは、アイデンティティの危機ともいうべき難しい時期にさしかかっており、それまでのシュールレアリスティックな作風から一転し、メロディアスでヒューマンな香りのする作風への脱皮を模索しているころだった。たしかに70年代中頃までのタンジェリンといえば、同業者でも引いてしまいそうな長尺の、しかもワンコードの曲を愚直に演奏し続けていたし、それがまたカッコイイところでもあった。しかし彼ら自身がそれに飽きてしまったか、もしくは、未知の領域をすべて開拓しつくしたという、満足感と裏返しの空虚感があったのかもしれない。
いずれにせよ、方向転換の成果たるや惨憺たるものであった。特に、「サイクロン(78年)」「偉大なる標的(79年)」あたりは今でも評価が厳しいアルバムで、私のなかでは「なかった」ことになっている。ところが、これらの作品のすぐ後にリリースされた本作は、ソロ名義にもかかわらず本家を凌ぐ素晴らしい出来ばえなのである。いったいフローゼの精神に何が起こったのだろうか。何か突き抜けたかのような斬新さ、シャープさが音にみなぎっていて、寸分の迷いも感じられぬ、まさに鋼のようなコンセプトが伝わってくる。
「12年間に渡るプロフェッショナルなミュージシャンとしての仕事を続けてきた末、私は再び子供のように新しいスタートをきろうと思う。何故ならば、私はこの12年間にしてきた以上のものを今、知ったからだ。それは、多分私がすべての世界の音楽を知り得たことが多少の理由かもしれない。私は再びスタート・ラインに立ったところだ」
1980年暮れのこのような発言や、タンジェリン・ドリームの作風が80年を境にして宗旨がえともいうべき大胆な改革がなされていることからみても、本作はフローゼの精神史において啓示的な意味合いをもっている。彼はこの時を境に酒も煙草もやめてしまったという。
機材の技術革新も彼の再出発を助けた。当時のシンセサイザーは、アナログからデジタルへの過渡期にあたる時期で、タンジェリンにかぎらずクラウス・シュルツェでさえも、サウンド面で大きな変化の時期を迎えようとしていた。本作で聴かれる鋭利で解像度の高い音響は、80年代タンジェリンの音を予言しているという点からみて、この作品をデジタル化の本格的始動とみなすのが妥当であろう。フローゼは、新機材の可能性に夢中になることで、子供のように無邪気な創作意欲をもういちど取り戻したのではないだろうか。
以降のタンジェリンはカスタム・メイドのデジタル・シンセ「PPG」が実用化し、孤高の存在になっていくわけだが、同年1月発表の「Force majeure」にすでにクレジットがあるから、本作にも使用されているとおもう
作曲面においては、オリエンタルな旋律の導入が印象的だ。先の発言においてフローゼは「世界の音楽」という言い回しをしているが、この後のタンジェリンの活動を支える重要なソースとなった。
当時はちょうどディスコ全盛期で、アジアンだろうがアフリカンだろうが、ディスコ・ビートにのっけてしまえば何でもヒットした時代である。これはけっこうバカにできないやり方で、ある意味、ハウスの前兆だったわけだ。YMOなどは確信犯的にこれを実行したわけである。その影響かどうかは不明としても、フローゼが採用した異国趣味なメロディとシーケンスとの相性は抜群であった。考えてみれば、反復音階に即興的旋律を重ねていくという彼らのサウンド構造自体、インド古典音楽に酷似していたのだから、むしろ自分自身のなかに答えを発見したといったほうがよい。ここでもフローゼはかなりの手応えをおぼえたに違いない(*2)。2曲目の「IT WOULD BE LIKE SAMOA」などは、ちょっぴりトロピカルな甘さもあって、マニュエル・ゲッチングのファンあたりにもオススメしたいスマートな出来だ。
LPではB面トップの「DRANKEN MOZART INTHE DESERT」、続く「A DARI-ESQUE SLEEP FUSE」では、音画的なサウンドが堂々と展開される。砂漠の乾いた空気感や、時間の静止した空間をイメージするのも楽しい。フローゼのギターも相変わらず唸りまくっており、かなり気持ちいい。
最後に、思い出話をひとつ。
中学のころ、NHK-FMで「クロスオーバーイレブン」という深夜のラジオ番組があった。火曜日はシンセサイザー音楽をたくさん流してくれて、「坂本龍一のサウンド・ストリート」(これも火曜日放送)とあわせ、帰宅後はテクノな生活をしていた。「スタントマン」もカセットに録って何度も愛聴した記憶がある。大学浪人中、食費をけずってやっとアルバムを入手し、受験勉強のお供としてこれまた愛聴した。今でもディスク・ユニオンとかで安いLPを見かけると、発作的にレジに走ってしまうのだ。
(*1)2005年「Dalinetopia」を発表。健在ぶりが伝わってきた。
(*2)83年「Pinnacles」で完成の域に達する。
エドガーフローゼもタンジェリンと取っ替えしながら聴いてます。1曲目の軽やかなサウンドがいいですね。
ドラッグもサケもタバコもやめないと、この軽やかさは出せないですよね。