メキシコの芸術はおもしろい。リベラにしてもシケイロスにしてもそうだが、キュビズムやシュルレアリスムなど前衛を知りつくしていながらも、アウトプットはとても民衆的な、トラディショナルな作風になっている。
これはメキシコの音楽家にもいえることで、西洋音楽を土台にしていながらも、でてくるサウンドにはメスティソとしてのアイデンティティが滲みでている。その際だった例がJorge Reyesのように先鋭的かつ古代的なヒトであり、彼のばあいは失われたマヤ、アステカの音楽をもとめて彷徨う姿がそのまま音になっているような印象だ。
1985年、当時おそらく音大生だったと想像される若い3人が残した唯一のアルバム「Metamorfosis」にも、そういう意味でのメキシコらしさが溢れている。
基本的にはギター・デュオにフルートがからむフル・アコースティック・トリオである。作曲・編曲・演奏まですべて三人で完結していることもあり、息のあったすがすがしいプレイがきける。
Metamorphosis
ARTURO GARCIA LEZAMA: Guitar, Voice and Citaguítara
JORGE GARCÍA MONTEMAYOR: Guitar, Clay Pot, Jingle bells, congas, bongos and voice.
MARUJA LEÑERO ELU: flute, Jícaras in water and Voice.
フォルクローレな叙情だけではなく、ときにはジャズばりにフルートが踊るスリリングなインタープレイや、大衆的な明るい舞曲、キツイ響きの現代音楽的なものまで、どれも素朴な風合いでありながら洗練されており、彼らの音楽的素養がさりげなくあらわれている。また、クレジットにVoiceとあるとおり、歌詞をもたない楽器的な声の使い方だ。
「Metamorphosisはフュージョン・グループです。ジャズや、クラシックや、フォーク、ロックなどさまざまなジャンルの音楽を含んでいます...」(ジャケット裏にあるコピーより)
日本でフュージョンというとどうしてもカシオペア的というか、テクニック重視のお定まりな音楽と偏見されることが多いけれども、もともとFusionはその原義どおり「融合」をあらわすものであって、マイルス・デイビスもブラック・ミュージックの融合を目指していたという意味ではFusionそのものである。それを引き継いだハービー・ハンコックでさえフュージョンだといってもおかしくはない。
Metamorphosisが自らをフュージョンだというときも、この創造的な姿勢を明示したものであって、我が国における一般の認識とは別に考える必要があるし、逆にそっちの意味をあたりまえにしていきたい。
Metamorphosisを聴くとかならず思いだすのがフランスのLBC Trioである。彼らもまた、アカデミックな音楽教育を受けていながら、それにとらわれない自由な音楽のあり方というものを探求する若い三人組であった。そしてMetamorphosisとおなじく、声というものを器楽的に使いこなしていた。LBC Trioについてはまた書きたいとおもう。
ジャケットはだまし絵になっていて、Metamorphosisの文字が幼虫のように潜んでいる。
青空にむかって飛翔する小さなアゲハチョウにこめられた三人の若き情熱は、二十年以上たったいまも色褪せることはない。
LADO UNO
1. Senderos de la Lluvia(Paths to Rain)
2. Erupción(eruption)
3. Neblina
LADO DOS
4. Danza del Amanecer(Dance of the Dawn)
5. Vuelo(Flight)
6. Esmeralda(emerald)
PENTAGRAMA LPP-048 1986
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