ポップを偽装したハード・エレクトロ
81年。通算16作目(ベストをのぞく)。暗い。救いようがなく暗い。まさに出口なしである。ヨハネス・シュメーリンク加入後のタンジェリンは、透き通るような見晴らしの良さが特徴だが、EXITだけは別だ。
外見はポップを装っても実体はハード・エレクトロであり、当時の息苦しさというか、欧州各国の閉塞感を見事にスナップした架空のサウンドトラック集といえる。考えてみれば東西ドイツ統一、ソ連崩壊の十年も前の作品だ。東西ベルリンに垂れ籠める暗黒の霧のようである
楽曲解説
Side A
Kiew Mission
空爆の轟音、サイレンの唸り。東欧的な響きをもつ女性のつぶやき。出だしからして重暗すぎる。キエフという都に何を象徴させているのか。Missionをどう訳すべきだろうか。軍事的な任務か、それとも政府が派遣する使節か。そこはリスナーの夢想にゆだねるというフローゼの意図であろう。歌詞を読むかぎりでは、国境を越えた人類的共感・共生というメッセージが感じられるが、音は逆説的に暗い。
Pilots Of Purple Twilight
地味であるが、実にタンジェリンらしい、豊かな音色感がある。シンセの持ち札をぜんぶみせてるかんじだ。このゴージャスなサウンドは今日のDTM環境でもそう出せるものではない。30年を経てむしろその斬新さが際だってきた印象だ。タイトルはおそらく本の題名か、もしくは慣用句としてこういう表現があるのかもしれない。
余談であるが、Heaven 17のマーティン・ウェアもヒューマンリーグ時代、TDのシンセに影響を受けたと語っているが、彼らの2nd「Travelogue」でみられたギザギザした手触りはたしかにTDと通じるものがある。特にB面の「Gordon's Gin」はインスト・ナンバーということもあって実にTDしている
Choronzon
タンジェリンの作品中もっともディスコティックかつハードボイルドな仕上がり。4つ打のキックに16分の刻みといえばジョルジオ・モロダー発祥のミュンヒェン・サウンドだが、そこはやはりエグい音色とリズムに改造されている。
クラフトワークは「人間解体」でこのビートをいちはやく導入し、よりスタイリッシュかつポップに進化していくわけだが、タンジェリンまでもディスコティックになることにはファンからもかなり不満の声があったようである。当時の音楽雑誌を読み返してみてもたいていはこの辺りの批判に終始している。しかし、これほどカッコイイ音にケチをつけるというのはずいぶん狭量な話で、むしろ今の若い人たちのほうがすんなりとこのナンバーの凄味を感じているであろう。まさにキメの一発だ
コロンゾン。悪魔・邪悪の象徴。おそらくアレスター・クロウリーを知るフローゼのオカルト嗜好であろう
Side B
Exit
傷を負い、泥まみれの足をひきずる流浪の民。迫害。虐殺。解放への希望。悲痛さが響く。天の悲しみが雨となりワルシャワに降り注ぐ...アルバム中もっともビジュアルなサウンドだ。
Network 23
当時NHK-FMのクロスオーバーイレブンでオンエアされた16ビートのノリノリ曲。Choronzonと同じくミュンヘン・サウンドの影響が強い。TDお得意のワンコードで圧しまくる愚直なボトムに重厚なテンションコード(Oberheim?)が乗っかるスタイルは今だに孤高だ。昨今のテクノよりよっぽど新しい。
Remote Viewing
初期・中期タンジェリンの前衛をさらに推し進めたような。音色もアナログなかんじ。しかしインプロヴィゼーションまかせの現場合わせではなく、かなりコントロールされた音。推敲に推敲を重ねたミックスという点が70年代とは異なる。Remote Viewingというタイトルもおそらくフローゼの趣向ではないかとおもう
変革から中庸へ 実験から推敲へ
ポップ化してつまらなくなったとか、実験精神を失って大衆に迎合したとか、今も昔もこのアルバムにケチをつける人は多い。両面1曲という前作「Tangram」は大作志向のプログレファンにもまあ受け入れられたが、本作は批評家にさえポップ化したとばっさり斬り捨てられてしまった。
なぜTDは変わったのか。まず曲が短くなったことについて。
「映画のサントラ制作がターニング・ポイントになった。3〜4分といった短時間に、いかにして自己表現するかを学んだんだ。最初は単純に必要にせまられてはじめたんだけど...数年前まで僕たちは、この種の音楽をやることで、人々の意識を変革することができると思っていた。でも今は、ある特定の方向に強要するんは間違いだと思っている。音楽というものは、中庸でなくてはならない。そこで僕達は、アイデンティティをそのままで、よりアプローチを前進させることにした。だから僕達は商業的になったと同時に、以前からの強いインパクトを失っていないと信じている」エドガーフローゼ(85年・米バムマガジン)彼らの手がけた最初のサントラは77年発表の「恐怖の報酬(Sorcerer)」だが、おそらく81年発表のサントラ「Thief」制作が直接の動機となったことはまちがいないだろう。もうひとつ、ポップ化の理由として見逃せないのは、彼の息子ジェローム(当時は中学生)がフィル・コリンズやヘヴィ・メタル好きなごくフツーのロックファンで、子煩悩のエドガーにとっては息子の気を惹きたいという親心が少なからずあったことが当時のインタビューからもうかがえる
次に実験的でなくなったという批評について。
「それはぼくらが実験的なものをしようとしなくなったからなんだ。今まで試みてきた様々な実験を推敲しているんだよ」クリス・フランケ(フールズメイト1983年9月号)
確かにEXITは、80年初頭までのTDにみられた冗長さが全くないどころか、一部の隙もないほど入念に推敲されている。むしろ従来どおり長尺で仕上げることは当時の彼らにとってむしろイージーな選択であっただろう。その証拠に81年10月25日、NewcastleでのステージではChoronzonが10分以上にわたってプレイされており、その気になればいくらでも長大にアレンジできるという証左となっている。従来ならばLPの片面を占拠したであろうサウンド・マテリアルを、4分ほどに圧縮してあるわけだから、これほど濃密な36分42秒はそう聴けるものではない。
EXITには、現在の彼らですら再現できない音色の豊かさ、グルーヴがある。「EXIT 2010」などと題してリミックスする必要などないほど、30年前のままで最先端という恐るべき今日性を保持しているのだ
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