Pergamon
1980年1月31日、東ベルリン公民会館で行われた新生タンジェリン・ドリームの皮切り事始めライブ。死体同然だった当時のタンジェリンをみごと復活させ、第二の人生を歩ませることに尽力した"第三の男"、ヨハネス・シュメーリンクが正式にクレジットされたのもこの作品からである。
「ベルリンの壁」崩壊(1989年)をリアルタイムで目撃した今からしてみれば、このライブが行われたことなどごく普通の出来事に思われるかもしれない。しかし当時はソビエト連邦が消失する(1991年)など夢想だにできなかった時代であり、共産主義の支配がいまだ色濃い世情であった。そのなかで、東ドイツの、それも公民会館で西側のロック・バンドがプレイするなどというのは全く前例のないことであり、実現まで2年もの交渉期間を費やさねばならなかったというのも無理からぬ話といえるだろう。
当時はなぜかクラウス・シュルツやジャン・ミッシェル・ジャールといった、いわば盟友たちも積極的に共産圏でのライブを試みていた。歌詞をもたず、アメリカ臭を匂わす典型的バンド編成でもなく、シンセ一本に頼ることで、政治的には中立なイメージをアピールしやすいことも功を奏したのであろう。シンセストに共通するコスモポリタン的な資質がよくうかがえる逸話である。個人的には、共産圏限定といわず日本でもやってほしかった。
本作は東独AMIGAより「Tangerine Dream」というタイトルでリリースされたのが最初で、我が国のレコ店にもよく出回った。盤質が悪く、2枚購入したら2枚とも同じ場所で針とびした記憶がある。その後、ヴァージンより「Pergamon」としてLP、CDともに再発されたが、現時点(2005年)では廃盤となっているようだ。
また、残りのトラックは「Staatsgrenze West」というFM音源録りのブートレグに収められており、70年代にみられた実験的パフォーマンスもいまだ健在であったことがわかる。
さて内容であるが、これをもって80年代タンジェリンの、最初にして最高作といってしまいたい。「Alpha Centauri 」(1970年)と対置されるべき、第二のファースト・アルバムである。このときのサウンド・マテリアルを凝縮、推敲して完成されたのがスタジオ録音「Tangram」(1980年)だが、むしろシュメーリンクのクラシカルなエレピ、フローゼのサイキックなエレキが好対照をなし、スタジオ盤より大きくフューチャーされている本作のほうが魅力的だ。「Exit」も大名盤であるが、よりタンジェリンらしいという点でやはり本作に軍配があがる。
混迷とした電子音が、やがて一筋の閃光のごときシークェンスに統合され、その無窮動的な音列からさまざまなフレーズ(色彩)が即興的に塗り重ねられていく(B面:Quichotte Part 2)。これはインド古典音楽のラーガに近いが、これこそがタンジェリンの強烈な色彩感の一要因といえよう。
ソナタ形式こそ、人体の生理に則した世界最高の音楽様式である、などと豪語する方にこそぜひおすすめしたい。
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