アトランタ・リズム・セクション(ARS)は、その名の通りジョージア州アトランタをその名に冠する、アメリカ南部のロック・バンドである。よって彼らをサザン・ロックの文脈で語るのがいちばん自然だとは思うのだが、今回はなぜかそんな気がまったくおこらない。そもそも、私は南部に行ったこともないし、何をもって南部とするのかもよくわからない。
もちろん、彼らだって南部出身であることに誇りと使命感をもっているからこそ、みずから「アトランタ」を名乗り、郊外の街ドラヴィルにある自前のスタジオ「STUDIO ONE」を活動の拠点にしたことはわかっている。だがARSだけは、ドゥービー・ブラザーズやスティーリー・ダンと同じく、地域などという物理条件を超えた、何かもっと大きな音楽的実在に近づきえた希有なバンドのひとつであったといいたいのである。
この際だからいわせてもらえば、むしろサザン・ロックの代表と認定されてしまったことが、今になって逆に多くのリスナーを彼らから奪ってしまったといえるのではないだろうか。サザン・ロックという言葉から連想されるダルでラフなサウンド(それが魅力でもあるのだが)と、彼らの精緻で洗練されたアンサンブルとの間にはどう考えても相容れないものがある。音を聴いたことのないリスナーにとっては、この田舎臭ただようジャケと、南部というレッテルからついつい音まで敬遠してしまうのも無理からぬことではあるまいか。
その証拠に「UNDERDOG」は、彼らの到達しえた孤高の境地であり、アメリカン・ロックの金字塔であるにもかかわらず、我が国はおろか本国においてもCDが入手できないという信じがたい状態が続いているのである。今回はリマスター盤再発の願いもこめて書こう。
「UNDERDOG」は79年のリリースで、彼らの通算8枚目にあたるアルバムである。78年にリリースされた前作「Champagne Jam」が、はじめてのプラチナ・アルバムになるなど、この時期の彼らはまさに絶頂期にあったといえよう。いま思うと微笑ましいエピソードであるが、時の大統領、ジミー・カーター(彼も南部出身)に招聘され、ホワイトハウスにて御前演奏を披露するなど、名声の点でもまさに頂点を極めていた時期だ。
それなのに「UNDERDOG」である。このタイトルは文字通り「負け犬」という意味で、成功をきわめた彼らの自負を余裕たっぷりに表現したものであるとこれまで伝えられてきた。しかし、どうなのだろう。ある意味、自分たちは「UNDERDOG」なんだと、本当の心持ちをやっとオーディエンスに吐露できたともいえるのではないだろうか。このアルバムには、どこか私的な香りがただよう。ラストを飾る「MY SONG」を聴けば、誰しもそう思うにちがいない。
ステージがぼくの人生
音楽がぼくの商売
みんなの好みにこたえてプレイしてきた
でもたまに独りになったとき
ギターをかかえながら
心のおもむくままに弾き、歌う
これが本当のぼく
これが本当に感じることこの曲を
ぼくのために歌おう
君ではなく
ぼくのために
君には後で
今はぼくのためにちゃんとした曲じゃない
ただの成り行きってやつさ
君にとってはどうでもいい曲だろうね
でもだまって聴いてくれてありがとう...
熟達の極みと、初々しさ、誠実さ。これらの要素が分かちがたくブレンドされている点でも「UNDERDOG」は忘れがたい魅力をはなっている。「成功の見込みはまったくない」と評論家にコキおろされたデビュー時代に、こんどは自信と経験とをたずさえ、立ち戻っていこうとする真摯な態度を感じないだろうか。
72年にデビューしたおり、彼らがMCAとの契約金をそのまま自分たちのスタジオ作りにあてたというのは有名な話だが、結局メンバー全員が音楽の虫というか、自分たちの求める音を、納得のいくまでじっくり磨き上げることに幸福感をおぼえるたちなのであろう。このころメンバーたちも、引きも切らないライブ・ステージをこなすことに、ある種の疲労感のようなものをおぼえていた時期ではなかったろうか。ポリドールに移籍する前の、スタジオ・ミュージシャン時代を懐かしく思い出すこともあったかもしれない。
そう考えると、5曲目「WHILE TIME IS LEFT」などはどう考えてもライブ向けではなく、いわばARS流の室内楽といえるものだ。フルートとエレピによる、バロック時代の舞曲を思わせる古雅なアンサンブルから幕を開けるこの曲は、ARSの音楽的素養がいかんなく発揮された不朽の名曲である。前奏の後に続く静かなVoのバッキングをつとめるさりげない弦のアレンジも、すばらしい仕事としかいいようがない。変拍子をまったく意識させない自然なノリもさることながら、このような曲調にあってもまったく違和感のない、まさに考え抜かれたエレキギター・ソロや、ドラムスの精妙さなど、あたりまえに統合されていることに圧倒される。これらを聞き手にまったく意識させることなく、叙情だけが後味に残るさりげなさこそ、本物の技芸であることを物語っている。
7曲目「SPOOKY」は、ARSの前身ともいうべきクラシックス・フォー時代の名曲を再度とりあげている。圧巻は後半のほとんどを占める、ベイリーとコブによるギター・ソロの応酬である。二人のソロに割って入るドートリーのエレピ、リズム隊のまるでリムジンに乗っているかのような安定感も含め、スタジオ・ミュージシャンとして第一級の技前をもつ彼らならではの味を存分に堪能できる。とくに強調しておきたいのは、チューニングと音程の正確さ。ここまで美しい和音を響かせるロック・バンドを私は他に知らない。
アルバム全体を漂うムードは、「軽み」である。それも、技芸に熟達した者のみが発することのできる、力みのない、それでいて力強い状態のことである。最高にクールなソウル・グループが、必要最小限の動きで強力なグルーヴを生み出す、あの感じだ。汗のしたたりがまったく感じられない。
ロニー・ハモンドのVoも、初心にたちかえったかのごとき、繊細で丁寧な歌い方に徹している。ひとつ難をいえば、「ジョージアのサンダーボルト」の異名をもつバンド一の人気者、ポール・ゴダードのかっこいいベースが前作に比してあまりフューチャーされていない点であるが、これだけ素晴らしいギター・ソロを堪能したあとにとやかくいうのはヤボというものであろう。
米国盤はジャケット表面にエンボス加工がなされており、ARSのロゴの部分だけ浮き出るようなデザインになっている。国内盤はさすがにこんな凝った処理こそされていないが、紙質がよく吟味されており、オリジナルのムードをよく伝えている。米国盤の忠実な再現こそできなかったものの、風合いでは妥協しなかったとみえるポリドール・ジャパンの担当者に拍手を送りたい。
このアルバムからは「Do It or Die」と「Spooky」がシングル・カットされ、どちらもアメリカン・トップ20入りを果たしている。アルバム自体も、当然ながらゴールド・ディスクを獲得した。「UNDERDOG」によって、彼らは成功の道をまたさらに押し進めるという、望みえる最高の成果を残すことになったのである。傍目には、全てがうまくいっているかのようにみえたが、その陰影に死神が忍び寄っていたことを我々がはじめて知ったのは、続くライブアルバム「ARE YOU READY !」において、ロバート・ニックス(ds )のクレジットが消えていることに気づいたときだった。原因は病であったときく。この、大いに不安感を募らせるライブ・アルバムでお茶を濁したのち、続く「The Boys From Doraville」でファンの不安は一気に現実のものとなったのである。
TOTOが、ジェフ・ポーカロの死去によってサウンド的には終わったのと同じように、ニックスの、あの温もりあるスネアとキックが生み出す独特のノリ、まさに「アトランタ・リズム」とでもいうべきノリは二度と帰ってこない。
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彼らのオフィシャル・サイト。
アトランタ・リズム・セクション
「えとせとらレコード」の店員さんによる解説がすばらしい。
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