ぼくのドクターのお師匠さんであるT先生の話を前にチラッとしましたが、実は「大ちゃん」というある患者さんの遺した手記が元になっています。彼の文章をはじめて読んだとき「これは多くの人に読んでもらわなくては」とすぐ思いました。そのことをドクターに話すと「大ちゃんも喜ぶだろう」と快諾してくれたので今回は彼の文章を原文ママで紹介します。
必要があって、入院のときの荷物をごちゃごちゃやってたら透明な袋に入った"だらんこ"が出てきた。「ん?」
袋は錠剤を半分だけもらったときなどに入れてきたもので、密閉できるやつ。それがパンパンになっている。
少し得した気になって手にとってみると、100円や10円や5円や1円や1円や1円・・・。1円ばかりが目立つ。中 にはゲームのコインも何枚か入っていた。
「あ!」
そうだ。思い出した。これは入院中に某T先生がくれていたものを貯めてたものなのだった。
この先生はギャグのつもりなのか、おまじないのつもりなのか、回診にやってくるたびに「1円を数枚」とか「5円と 10円」といった具合に、ぼくにくれていたのだ。
「水虫大丈夫か?」(水虫じゃないって!)
「熱があるって?これ貼っておけば治るよ」(治るか!)
「あ、寝てていいよ。」(足の指の間に5円挟んでいくし・・・)
「今日は日本のお金じゃないよ」(ゲームのコインだろ!)一応その道では「Professor」の肩書きを持っている エライ先生。だから入院当初からよく知っている笑いの血液グループの先生とはいえ、冗談なのか本気なのか分からない部分もあって戸惑 うのだ。
おそらく、そういうぼくの表情を見てさらに楽しんでいたに違いない。
退院が近くなったある日。
ときどきやって来てはくれる"だらんこ"だったが、いつか返さなければ、と使わないで袋に入れてとっておいていた。小額とは いえお金だったし、「もらっちゃえ」となれない性格なのである。
すると、先生はこういった。
「それは君にあげたんじゃない。お母さんに花でも好きだったものでも買って、きちんと(仏壇に)あげなさい」
そうだ。そういえば、うちの母が病院に来ていたときもよく叱られたものだ。
「親孝行してるか。ちゃんと言うこと聞かないとダメだぞ」ほかの先生たちはそういうことは言わないし、この先生ならではの重みのある言葉だった。
母が亡くなって、周りの人は気にしてかそのことを口に出さないようにしてくれていた中、そのことを人前で平然と話す のもこの先生だけであった。ぼく自身は母のことを話してもらうことで、いまでも一緒にいるような気がして嬉しかった。
その先生が半分冗談かも知れないけれど、そう言ってくれた。
「でも、先生、5円とか1円ばかりですよ」
照れくさいとか恥ずかしいとは少し違う気持ちで、そのときはそう話して終わったのだが、それから退院の後片付けやな んかですっかりこの袋の存在を忘れていた。
袋の中を数えてみると530円あった。それにゲームで使うコインが数枚。
せっかくだから、母の好きだったマイルドセブンでも買って(仏壇に)あげようかな。(引用おわり)
以下、ドクターからのメールをそのまま引用しておく。
大ちゃんの母さんは、大の病気が見つかって告知を受けた際に「自分が身代わりになっても助けてほしい」と懇願され ました。 非常にタイプの悪い白血病でしたが、母さんの祈りが通じてか奇跡的に完全寛解に入り、治療を終了するところまで行きました。その治療中に母さんは自転車事後で亡くなりました。みんな、そのことに触れないか、あるいは母さんが本当に身を投げ打って大を生かしたんだとか言って いましたが、本人も家族もつらかったと思います。
大は、その後神経浸潤再発を伴う白血病の大逆襲に遭って再発確認ご数日で母さんのところに行きました。
本の大好きな子で、いつも本の感想を言い合っていました。今でも本を読むとき「ああ、これ大ちゃん好きそうだ」などと思いながら読んでいます。
大のブログは「ここから出発する旅 ~少し立ち止まって、また進む。ゆっくりでいい。夢さえあれば道は真っ直ぐ。~」というブログで残っていると思います。時々覗き込んでいたり、当時の仲間の報告を書いたりしていましたから。
大ちゃんの文章、私もとっても好きです。無許可で転載しても大ちゃんは怒らないし、照れながら喜ぶと思いますよ。(引用おわり)
先生の話によると、大ちゃんは2004年、弘前大学の学生だった21歳のとき発症し、2007年、24歳のときお母さんのもとに旅立たれたそうである。
しかし彼のブログはまだこの世にあり続けている。みなさんもぜひユーモラスだけどどこか切ない彼の書きものに触れてみてほしい。
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