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楽しくなければアクセシビリティじゃない

青森Webアクセシビリティフォーラム〜みんなが使えなければWebじゃない!」に行ってきた。主催であるエイチピースタイリングさんは、W3Aというプロジェクト名でアクセシビリティの普及を県内で進めてきたいわばパイオニアである。彼がいなかったら青森県のアクセシビリティ度は今よりずっと低いものであったと思うほどだ。

一方、自分はというとカラダぐあいもあって今年は満足のいく福祉活動をほとんど何もできていない。その反省もあり、せめてフォーラムだけでも参加せねばと青森へむかった。4時間半という長丁場プラス懇親会に体力がもつのかという不安もあったが、駅前で「ちゃちゃちゃ」で抹茶アイスと抹茶ラテを充電、とちゅう経口栄養剤を2本吸いながらなんとか正気を保つことができた。

今回のフォーラムでいちばん感じたことは、とにかくできることから取り組み、そして続けることが大切だということ。切れ痔といっしょで力みは禁物だということだ。さらにいうと「楽しくなければアクセシビリティじゃない」。

ティム・バーナーズ・リー

WEBの父であるティム・バーナーズ・リーはかつて" The power of the Web is in its universality. Access by everyone regardless of disability is an essential aspect."「WEBのもつ力はまさにそのユニバーサル性そのものなんだ。誰でもアクセスできること(たとえ障害者であろうとも)こそ、WEBのもっともWEBらしいところなんだ」と語った。

これはそのまま、なぜ世界中の人々がWEBに夢中なのかという問いの答えでもある。もしWEBが彼のいう本当の意味でのWEBになったとき、つまりWEB本来のパワーにめざめたとき、障害者にかぎらずすべてのニンゲンにとってWEBはもっと楽しいWEBになっているはずだ。楽しさは楽しさからしか生まれない。WEBの楽しさを生みだす楽しさこそ、アクセシビリティではないか。だから義務や責任からではなく、楽しみながらゆっくり取り組んでいこうとおもった。

まずはW3Aの「障害者とウェブ制作技術」カテゴリに書いた「規格の策定者が解説するJIS X 8341-3:2010」の続きからまた再出発しようとおもう

フォーラムの内容そのものについては、正直にいうとみんな本当に理解できたのか心配も残ったが、青森ではアクセシビリティのセミナーそのものが貴重であり、結果的には30人以上の方々が来場されたことを思えばたいしたことではない。赤字覚悟で今回のイベントを主催したエイチピースタイリングさんはさぞ大変であったろうとおもう。貴重な週末を割いて本州最北の地まで来られた講師陣の方々にもただひたすらに感謝である。

さて、ここでいったん我が身を振り返り、じゃあ今年いったいキミは何をしていたのかねと問われたら、せいぜい同じ障害者どうしでおしゃべりしたりメールしたり盲人卓球したり、飲んだり食ったりしているだけで、結局のところ何もしていない。それどころか、むしろ彼らから教わることのほうが大である。それは障害者手帳の活用法、スクリーンリーダーや点字の知識、もしくはデイジー図書の利用といったこともあるが、実はもっとラディカルな話で、どういうことかというと、障害者になる前の自分が、いかに盲目であったか、いかに狭い視野で社会というものを見ていたかという己の無知ぶりに愕然としたということである。目が見えなくなってからのほうが、世の中がよく見えるようになってきたという話なのだ。

たとえば、自分がこれまで属した学校や職場にはなぜ視覚障害者がいなかったのか。そんな疑問などこれまでもったことすらなかった。さらにいえば精神障害者、病人、肢体不自由者や死にかけの老人はいったい、なぜ我々の周りで見かけないのかという素朴な疑問である。

末期ガン経験者の立場からいうと、入院するということは、いったん社会から合法的に消されるということではないか。病院でなくとも施設やホームという聞こえのよい名で、障害者や高齢者にも同じことが起こっているのではないか.....などなど。つまり合法的に隔離、もしくは排除されているニンゲンがこの世にはいるのではないかという疑問である。フーコーの「監獄の誕生」ではないが、近代の病院が監獄のシステムをまねることから誕生したというのは笑えない歴史である。

東日本大震災の惨状が世界中で伝えられたとき、日本人のもつ和の心に世界から賞賛と感動の声が届けられたことは記憶に新しい。しかし一方で障害者の死亡率が高かったばかりか、仮設住宅は車椅子で入ることすら困難な設計であったこともまた日本の現実である。

全国の駅ではホームから転落する視覚障害者があとをたたず、街では走行中の自転車が視覚障害者の目である白杖(はくじょう)を折りながらそのまま立ち去るという信じがたい事態が日常的に起こっている。

一人の視覚障害者として、一人のデザイナーとして、自分にできることは何か、いったい何をなすべきかということは入院中から考えてきたことである。それがアクセシビリティであるということは当然の帰結であり、いまさら考えるまでもないことだが、何もせずに一年が終わろうとしていることだけを人生の記録として書いておく

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