野生の動物がうなっているのを見た場合、「なんて美しい動物だろう」って言うよね。「この動物、何を怒っているんだろう」とは思わない。そういうことなんだ。ぼくにはそのエネルギー自体が美であって、そのエネルギーによって結果的に生まれる色合いにはそれほど興味がない。..... 誰にでもあり得ることだと思うんだ。突然、怒りというのではなくて、信じられないような熱情を感じる場合があるよね。これは怒りとは違って、野生の動物のと同じような、激しい、強烈な感じが心を満たす。次にどうするかと言えば、「これはどうしてだろう?」と自問する。この疑問に対しては科学的に、いや論理的に答えるしかないと考えてしまう。どうしてこの熱情を感じるのか? ああそうか、ここでこうなって、だから、うんうん、そういうことだったのか。じゃあ今日はオレ、もうめちゃくちゃに怒るぞって、ぐあいに。
しかし、そうなってしまうと、エネルギーがあったのに、そのエネルギーを怒りに翻訳してしまったことになる。....
ぼくは人生というのは自分がどう感じているかということがすべてだと思う。その感じを脳が何が扱いやすいものに変えてしまう前の状態のそのフィーリング、それこそがすべてだ。覚醒状態にいるとエネルギーそのものを感じることができるから、もう自分の感情に混乱させられることはなくなる。実際、感情を分析しない限り大丈夫なんだ。(キース・ジャレット)(2004.04.17記)
山下邦彦編『坂本龍一・全仕事』太田出版 P116より
原文は『キース・ジャレット』音楽之友社
コメントする