『不思議な国のアリス』に裁判の場面がある。裁判中、白うさぎは事件にぜんぜん無関係な、わけのわからない詩をめんめんと読みあげる。すると王様は「これほど重要な証拠はいまだかつて聞いたことがない」と意気揚々に言う。「意味がまったくないではありませんか」とアリスが抗議すると、王様は答える。「意味がないほうがみんな助かるんだ。意味をさがさなくてすむからね。」
タオイストにもこの王様に似たところがある。タオの存在を主張しない、だからその存在を証明する必要もないというわけだ。これこそ中国人の知恵の最たるものと言えよう。
西欧の宗教史は論争と闘いの歴史だ。神の存在をめぐってどれだけの血が流され、どれだけの人が拷問にかけられたことか。宗教は生死の問題、いやそれ以上のものにされてしまった。キリスト教徒はどんな犠牲をはらっても「異教徒と無神論者の魂を救うために」神を信じさせようとした。また無神論者は無神論者で、神を信じることなどこどもや未開人の迷信にすぎないし、社会の真の発展をことさら妨げるものであるとキリスト教徒に反撃した。
両者はこうして攻撃しあい傷つけあった。その間タオイストの賢人はなにをしていたか。川辺でお酒を飲みながら詩の本を読んだり絵を描いていたのだ。そして心ゆくまでタオを満喫していた。賢人はタオが存在するか否かなどと悩まない。あえてタオの存在も肯定しない。タオを満喫するのに忙しくてそんな暇もないのだ。
レイモンド・M・スマリヤン著 桜内篤子訳『タオは笑っている』P11 工作舎
(2004.06.18記)
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