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カレー食いたい

体温36.3℃、血圧上99、下72
朝飯、コーヒー豆乳、牛乳、オレンジジュース、玄米パン、きゅうり、ハム、目玉焼き、コーヒー、薬、
便通
大リーグオールスターゲーム観る

自宅にもどってからなぜか口の痛みがなく梅干しやマヨネーズ、オレンジジュース、ラーメンのしょっぱいスープやソースのごときここ数年絶対食えなかったようなものを食している。ステロイドのおかげなのか偶然なのかよくわからないけれども食えるうちに食いたいものを食べておかねばと、つい食い急いでいる。カレー食いたい。

昨日のお昼は市販のソースだけれどもトマト味のポモドーロでパスタを食った。今日はカルボナーラ食ってみたい。

念願のスイカも食って、甘味はまだ早いが歯触りを味わった。

体がだるくて横になっている時間が多い。仕事がない、やるべきことがないというのは実際になっていると辛いものだ。ニンゲンは暇であることに耐えられない。忙しいと休みたい休みたいとばかり思うけれども、忙しい人が今はうらやましい。自分の思うとおりに体が動く人がうらやましい。

立ったり座ったり、なんなく2階にのぼったりできるだけの体がほしい。骨髄移植後は寝たきり垂れ流しでもっとひどい状態だったのに、あの頃はどうやって精神的に乗り切ったのか不思議におもう。あの前向きさが今は遠く感じる。

でも弘前に帰ったのはいい選択だった。あのまま県病にいたら心が崩壊していた。心や体がこんな状態で、次の化学療法のメニューや臍帯血移植の計画を医師から告げられても気持ちがまったくついていけなかったから。

自分に正直に弱音を吐いて弘前に戻りたいと泣きながら訴えて今はよかった。これからは自宅から弘前大学病院に通院という形で、治療を続けたいとおもう。先日、この人なら命を預けてもいいなと思う医師との運命的な再会もあった。この話をすると長くなってしまうが、普通ではまず考えれないようなありがたい出会いだった。人の縁というものは本当にありがたく、また不思議なものである。

自分でできないことが多くなると、人の助けなしには誰しもが生きていけないことをリアルに感じる。いまこの瞬間も生かされているという現実に気づく。自分の命は自分だけのものではない。自殺者はこのことに気づかない。生きることを一人では誰もできない。もっともっと人に頼ったり、助けてもらっていいんだという世の中になればいいと思う。

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