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弘前に帰って

弘前に帰ってもう4日も過ぎた。入院中の長期横臥で体はまだまだいうことを聞かないが、それでも寝たり、食べたり、出したりをなんとか繰り返している。

治療を続けるかどうかとか、あまり悩みすぎず、弘前の力をもらって、もっと自分の気持ちが素直になって、その時々の直感をたよりに自分の道を決めていけばいい。

それからやはりどうにも一日寝ているだけの生活はできない性分なので、何か毎日取り組むことを見つけたい。正岡子規が病床にありながら「仰臥慢録」を綴っていたように、自分もブログにはき出していきたい。

苦しいなかにも、音楽はぼくにとって幸せの源でありつづけている。モーツアルトやスティーリーダンを聞いているだけで生きている意味ありとおもう。

いまや国民病ともいわれ、「二人に一人はがんになる」という現実をぼくらは目の前にしている。幼児から老人まで、がんで亡くなるニンゲンがこれだけ多い時代もないだろう。死を想うことはネガティヴなことではない。むしろ生に意味を与えるものだとおもう。これは西洋も東洋もなく、神道もクリスチャンもなく、先人たちがみな想ってきたことだ。

生と死を分けて考えず、どちらも自分に必要なものとし、生きている人だけでなく亡くなった人ともいっしょに道を歩めばいい。どんな孤独にある人も一人ではない。自分のわからないことは、知る必要がないことだからで、死ぬときもかならず助けがあると考えて、どうにかなるとリラックスしながら毎日を過ごしたほうがいい。

死ぬときには、霊界の守護霊や亡き身内のほうががあなたをほうっておかない。絶対一人にはさせないよう宇宙は最初からできている。肉体を脱ぎ捨て、霊体だけになると、あらゆる場所に瞬時にいって、会いたい人に会うこともできる。

そのまえに自分のやり残し、この世で何を学ぶために白血病が再発したのか、あとどんな苦しみを感受すれば生き切ることができるかなどを考えたりもするが、その人が背負える以上の重荷を神サンは与えたりはしない。何でも根を詰めて細かいところまでこだわってきて、ついつい生き急いでしまった自分は、今こそR&R(レスト&リラックス)を学ぶチャンスなのかもしれない。


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