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没頭

...そういうわけで、野心家や貪欲な者は、なるほど時には非常に勤勉であるが、しかし終始かわらず規則的に仕事を進めていくことは稀である。

彼等はほとんど常に、他人はかまわずただ自分自身にさえ、本当の仕事と同様の都合よい結果が得られるならば、仕事の外見だけで充分満足するのである。

商工業の仕事の一部分、また遺憾ながら学問や芸術の仕事の一部分が、今日明らかにこうした性格をおびていいる。...(P22)

...最後に精神的な仕事(われわれは常に第一にこれを念頭においてきた)を容易にする最も有効な、とっておきの方法が一つある。それは繰り返すこと、言い換えれば、いくどもやりなおすことである。

精神的な仕事はほとんどすべてが、最初はただその輪郭がつかめるだけであり、二度目に手がけて初めてその輪郭が見えてきて、これに対する理解も一層明白になり、精密になるのが常である。だから、本当の勤勉は、現代のある有名な著述家が言ったように「ただ休む暇なく働き続けることではなく、頭の中の原型を目に見える形に完全に表現しようという熱望をもって仕事に没頭することである。普通に言われる勤勉、すなわち、相当大きな材料を征服して、一定の期間内に目に見えてこれをはかどらせようとする骨折りは、むしろただ当たり前の仕事の前提にすぎず、あの常に精励してやむことを知らぬ、より高い精神的な勤勉にくらべればはるかに及ばぬものである。」

われわれはこれ以上によくこの思想を表現するすべを知らない。

働きをこのように解釈すれば、われわれがこの章の初めに述べた最後の危惧は事実上消えうせて、仕事の連続性は(必要な休息にもかかわらず、またその間にも)成立することになる。そして、実にこの連続性こそ、本当の働きのまぎれもない理想なのである。

一度、この仕事の没頭するという本当の勤勉を知れば、ひとの精神は、働き続けてやまないものである。そしてしばしば、このような(あまり長すぎない)休息ののちに、知らぬ間に仕事がはかどっているのを見るのは、まったく不思議である。すべてのものが、まるでひとりでのように明瞭になってきて、多くの難点は突然解決されたように見えてくる。

最初頭にたくわえておいた思想はおのずから増大して立体的なすがたをとり、表現力を得てきている。そして、新たに始める仕事は、今度はまるで、その休息のあいだにわれわれの力を借りず自然に成熟したものを、骨折りなしに刈り入れるかのように思われることさえ珍しくない(P28-29)

ヒルティ著 草間平作訳 『幸福論』岩波文庫 

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