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脱病院カフェ

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入院患者のいちばん辛いところは一人の時間を奪われることである。

病人家業も世間が思うほど楽ではない。朝6時から採血で叩き起こされるし、夜は夜で懐中電灯をもった看護師が見回りにやってくるので眠りを寸断される。ぼくはゴハンを食べるのが人一倍遅いので、看護師がお膳を回収しにきてもまだ食い終わらずいつも気まずい思いをする。食後の薬を飲み、歯を磨き終わらないうちに回診の時間になり医師がゾロゾロと列をなしてベッドを取り囲み、ぎこちない会話をしてまたゾロゾロと帰っていく。常に病院のペースに翻弄される毎日である。

これが総回診ともなれば大名行列かと思わんばかりの医師やら何やらがやってきて、何をするかと思えば患者のまえでカルテを見ながらゴニョゴニョ内緒話のようなことをはじめ、「まあがんばって」などとどうでもいいことを言い残して去って行く。こんなことを毎週毎週くりかえすわけである。県病にいるときも思ったが、総回診というのはいったい誰のためにやっているのか。誰がやりたくてやっているのかいちどたずねてみたいとおもう。少なくとも患者にとってはストレス以外のなにものでもない。

先日は婦長がやってきてMacBookをジロジロ見ながら「院内でパソコンの使用は禁じられている」だの「電力を消費する」だの小言をさんざん言い残して去って行った。他にも病棟内で携帯は使うなとかテレビはイヤホンで視聴しろとか細かいことをいうとキリがないが、要するに病院というのはひとつの監獄であり、患者は否応なしに囚人のような役割を演じるしかないということであろう。

その象徴ともいえるのが、入院したらまず腕にはめられる個人認証用のバーコードである。現代版の焼印といってもよい。病院側は医療過誤や患者の事故防止のためなどもっともらしい理屈を並べ立てるであろうが、当人にとってはまるでモノ扱いされているのといっしょであって、点滴のとき腕を捕まれてピッとかされるたびに屈辱的な思いをする。

お風呂は20分内という時間制限があり、ゆっくり湯船につかることも許されない。患者のあらゆる行動を病院側が前もって規定していて、入院したら患者はその規則に従うことを暗黙のうちに脅迫され、馴化されるというわけである。

こういうことを考えていると、きまって思い出すのはミシェル・フーコーの『監獄の誕生 監視と処罰』である。難しい本なのでよくわからないが、要するに近代の学校、工場、病院はすべて監獄における囚人の監視と処罰の仕組みをまねることで発展し、権力化したということらしい。

本人に内緒でのぞき見みたいなことを平気で行うのも病院と監獄との共通点である。後になって知ったのだが、実は県病の無菌室にもカメラが設置されているということを看護師さんから聞いて、それならそれで最初に言ってくれよと思った。柳原和子さんもたしか『がん患者学』に同じようなことを書いていたと思う。

このように患者は、ひとたび入院したら常に他人の目にさらされ、プライバシーなど微塵もない空間に来てしまったということに愕然とするわけである。だからたまには病院の監視の目を離れ、ほっと一息つきたいという心持ちになる。しかし病棟をでて院内を徘徊してもそんな場所は見つからない。患者が一人になれるような場所(監視できない場所)をあらかじめ病院側が排除しているからだ。前に県病にいたときトイレで自殺した患者の話をきいたことがあるが、冗談ではなく病院では一人になれる場所がせいぜいトイレくらいしかないという笑えない話だ。

だんだん何を言いたいのかわからなくなってきたが、実は大学病院内に入っているドトールを利用するたびに、もしかしてカフェというものが病院を脱病院化、脱監獄化するための装置として期待できるのではないかとふと思いついたからである。カフェやコンビニなど、病院のなかに非病院な要素がどんどん入りこむことで、入院患者は院内に「自分がいていい場所」「病院の規則がおよばない治外法権な場」を見いだし、ほっとすることができるからだ。

まったく知らなかったのであるが、全国の主要な病院にはすでにコーヒーチェーン大手3社(ドトール、スターバックス、タリーズ)が陣取り合戦のような形で店舗をかまえているそうで、なかでもタリーズは「癒やしの空間」というコンセプトで通常店舗とはまた違った展開を試みている。

韓国では逆にカフェを病院化しちゃえみたいな面白いアイデアもはじまっているらしい。地方では医者不足が深刻なため青森県でも総合診療医の育成が急務となっているが、地元の開業医とカフェが結びつくことで予防医学の普及や高齢者の健康相談を含めたおもしろいコミュニティ・ビジネスができそうな気がする。

カナダでは風邪をひくと医師がハーブティーの処方箋を出すクリニックがあるそうである。しかもそれを調合するのは薬剤師ではなく農家さんだという話を聞いていいなあと思ったことがある。医療費負担の増大に苦しむフランスなどの欧米諸国ではより医療コストの少ない民間療法への保険適用に積極的であるという。

緑茶にしろコーヒーにしろ、昔から薬としても用いられてきた歴史がすでにあるのだから、医療とカフェが結びつくことはむしろ自然な流れだとおもう。被災地でもあちこちでお茶会ボランティアが開催されているし、そもそも「お茶っこ」が嫌いな人など誰もいない。

日本の医療崩壊を防ぐにはまず病院自体が脱病院化し、社会のさまざまなサービスやビジネスにプラグインしていくことが必要だと思う。いっぽうコンビニやファストフード店の参入でより厳しさを増したカフェ・チェーン業界は、学校、工場、病院などを脱監獄化するというソーシャル・ビジネスとしての役割をぜひ担ってほしいとおもう。

ここ弘大のドトールは朝7時半〜夜8時までやっている。患者だけでなく夜勤明けの医師や看護師にとってもちょっとした骨休めの場所となっていて、院内でありながら院内ではないような不思議な空間となっている。本音をいうと、病院の朝食をやめて朝は毎日ドトールで過ごしたい(回診があるので無理だけど)。

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