仏間の私物を整理していたら古びた木箱をみつけた。亡父カードを納めてみると誠にぐあいがいい。
空っぽになった前の箱の底には日経新聞の社説「春秋」の切り抜きが溜まっていた。退色した紙の四隅にセロテープの跡だけくっきりと残留している。また箱に埋もれてしまうまえに抜き書きしておこうとおもう
田舎へ行くと今でも旧家を「鍛冶屋」とか「経師屋」とか昔の職業や屋号で呼ぶところが多い。それらの家ではとっくに転業して今では一家みんなサラリーマンになっているのに、呼称だけが変わらずに残っている。職業世襲制の封建時代の名残ともいえようが、その方がわかりやすく便利だからでもあろう。手仕事のよさが見直されているという。先週、京都で世界クラフト会議が開かれ、現代工業化社会の中でクラフト〈手仕事〉をどう再生するか真剣な討議が行われた。最近のフランスの週刊誌「エクスプレス」も、若者たちの間で「職人」志望が高まっていると報じている。陶芸、金属細工、家具、インテリア、織物など個性的な手づくりの仕事をめざす弟子入りが相次いでいるそうだ。
そのわけを聴かれた答えに今日の若者たちの気風がうかがえる。陶芸を志す一青年、「自分がものを作っているという実感がある。大量生産の工場労働者では"自分の仕事"という実感がない。給料は安いが、自由に時間を使えるし、村の中で平和に暮らせるのがいい」。友人と二人で電気修理業を始めた大卒、「この商売には、なぜわれわれが働くのか、という存在理由がある。大都市のビルの中の一兵卒ではこの充実感は味わえない」。
どうやら手仕事に対するあこがれは、世界共通の現象らしい。ただ、だれもが職人になれるわけでもなく、今日の経済社会に適応していくためには、それなりの新しい工夫が必要だろう。
単なる中世の手仕事への復帰だけでは、永続できるとは思えない。大企業の"歩"になりたくない気持ちはわかるが、さりとて「歩のない将棋は負け将棋」。歩の存在もまた大切というべきか。
(日本経済新聞より抜き書き)
日付はわからないが、おそらく第8回世界クラフト会議が日本ではじめて開催された1978年の記事であろう。このとき同じく開催された「日本クラフトコンペ・京都」でグランプリを受賞したのが弘前のブナコ漆器製造が手がけた「BUNACO」なのである。
アップルウェーブの「津軽いじん館」に出させてもらったときパーソナリティの倉田和恵さんが「BUNACOの歴史はまだ50年しかないから、まだ伝統工芸とはいえないのでは」というお話をされていたが、むしろ伝統という重荷がないぶん自由な発想をプラグインしやすいクラフトともいえる。
弘前で暮らすようになってから、ぼくの心は裂織やこぎん、BUNACOなど津軽のクラフトたちに惹かれっぱなしだ。それは電子空間にのみ存在するWEBという幻影を作り続ける仕事には失われてしまった「手の満足」を感得するからであろう。マウスとキーボードからはとうてい味わえない何かを感触するからであろう。
中世の職人たちのライフスタイルを現代に復権しようという試みは、ウィリアム・モリスの名をださずとも世界のあちこちで地道に続けられてきたことである。
WEBづくり、本づくりの現場における「手の満足」というものを近ごろ考える。
あけましておめでとうございます。
昨年はいろいろ充実していた年でしたね。
今年もとばしすぎず確実にいい年にしていきましょうね。
あけましておめでとう。年初からすでに気持ちつんのめってます。去年と同じ轍は踏まないと自分に言い聞かせてますが。どうして人はこんなに飛ばしたがるのでしょう。おたがいマイペースで