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亡父ノート8 生きがいと働きがい

今回は亡父のカードから「生きがい、働きがい」「ライフワーク」という三つを抜き書きしておく。「生活設計」最終章である。

生きがい論

会社の人生+余生=自分の人生とはいかなくなった。
仕事=生きがい説は本来の意味でのライフワークのすすめではない。
この仕事は自分の仕事よりは、「会社の仕事」ということで、「働きがい」説なのだ。

ライフワークとは

  • 自分のために働く
  • 自分が一生かけても、悔いのない仕事に取り組むこと

知的ブーム〜ライフワーク

元々ライフワークは芸術家・思想家・科学者のものと考えられ、サラリーマンには縁のないものと思われていた。

何故、ライフワークが問題になり始めたか

生活にゆとりができた
何のために生きるのか
人間はパンのみにて生きるにあらず
平均的寿命の伸び
人生を二度生きる
定年まで→会社の人生
72(人生定年)まで→自分の人生

ニンゲンのダメ(な)構造

1本来の二足歩行動物であることを忘れた
運動不足→文明・科学の進歩・電化→ストレス、病気
2ホモ・サピエンスを忘れ、シグナル人間に堕した
テレビサイボーグ化(人生の22%はテレ寝+5%趣味+3%スポーツ
3自分なりに読みとる能力の退化
(例:子ども=横断歩道と信号 信号のない場所の場合の能力)
4ホモ・ファーベル(工作人)の能力を放棄した
ものをつくり、使う能力の退化 ホモ・コンソマトール=消化人になってしまった

人間を弱くしたのは

人間の体・心・技を社会の仕組みの中にビルトインしてしまったからだ。

ライフワーク=天職か

「生きがい」という言葉をきいてすぐさま連想したのは神谷美恵子の代表作ともいうべき著書『生きがいについて  』(昭和41年)である。「生きがいということばは、日本語だけにあるらしい」という書き出しにはぼくもハッとさせられた覚えがあるが、当時のサラリーマンたちはなおさらだったにちがいない。神谷はさらに「はりあい」も西洋語にはないと続けているが、これらの言葉は日本人独特のムード、気質というものを見事に言い当てている。

逆にライフワークという言葉を日本語にできるかどうか。キリスト教のプロテスタントには「天職(Calling)」という言葉があり、おのおのの仕事を通じて神に奉仕するのがニンゲンの使命、いわば人生の意味であるという観念があるが、ライフワーク=天職と訳すと何かが欠落するのではないか。

しかし父が書いているように、ライフワークを「生きがい×働きがい」という二極のあいだで揺れ動く自画像とみるならば、ぼくの臓腑にもスッと落ちる。ちかごろ流行の「ワークライフバランス」という言葉には、どうしても家庭と仕事という二項対立、排他的の匂いがする。日本人はそのように割り切った存在になれるはずがない。

それよりも、「生きがい」「働きがい」そして「生き場」(これも西洋語にはない)という視線から人生を眺めることのほうが、日本人にはしっくりくるようにおもう

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