今日も二度とこない大切な一日。生きてあることを感謝しながらゴハン食べたり、歯をみがいたり、便したりする。この世で何をしたかなんて、この世に産んでもらったすごさにくらべれば、どれもションベンみたいなもの。この短い生を最後まで投げずに感謝をもって閉じることのほうが今の自分には大切
バトンをわたすということ。次に生まれてくる新しいニンゲンに。少しでもいいバトンをわたすということ。それはこの世でどんなことを成したかというより、魂の連鎖に思いを馳せて、先祖から伝わる命に感謝してそれに集中するということ。そして二度とない今生を最後まで味わって生ききるということ
自分の素直な気持ちとしては、もう化学療法はやりたくない。死の準備をしながら自宅に少しでも長くいたい。時間をのばすよりも最後のありかたのほうが今は大事に思える。化学療法で体力を失い毎日を苦痛のうちに過ごすよりは死の時期が早まってもいいから治療せず自然に死にたい。時間稼ぎはいらない
最後は苦しむのだろうか。肺炎になると最後は呼吸ができなくて苦しいだろう。自宅で看取りで死ぬとすれば、白血病のばあいどのような最後になるんだろうか。それが今はちょっと不安なんだとおもう。
でも、自宅で死ねるなら、それがいちばんだと思う。時間稼ぎはいらない。最後は同じように死ぬのであれば、それが早いか遅いかの違いだけであって、やってくるものは同じだ。それよりも、これまでの人生に素直に感謝できるかどうかのほうが大切だ
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