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点と点を結んで生きていく

津軽の小屋

押し入れからタートルネックのセーターをひっぱりだし、ヒートテックのモモヒキ、靴下を履く。湯たんぽにお湯を入れる。丸ストーブにマッチで火を入れる。エアコンのコンセントを抜く。

去年は生活復帰、今年は社会復帰ということでとにかく人に会うというリハビリを年初からやってきた。とちゅう再入院という余計なオマケもついたけど、いろんな糸にひっぱってもらいつつなんとか部屋のフトンで秋をむかえることができた。

人に会うのは楽しい反面、疲れをためるとGVHD(移植片対宿主病)が悪化する。体力的にも金銭的にも出入りが激しくなるから、近ごろはちょっと閉じ気味というか、むしろ人づきあいを控えねばとさえ思うようになった。とはいえついGoogleカレンダーを青色で埋めようとするのは、どこかまだ生き急いでいるような、焦燥のようなものがとれてないんだと思う。

いちど死んで、また新しくもらった命だから、これからは、やりたいことをやればいいのだと口では語りながらも、いっぽうでは将来や生活の不安をかかえる病気前の自分も固く生き残っている。親の期待やくだらないプライドに縛られた八方ふさがりの自己だ。ドナーさんからもらった血液細胞がこの身体を外敵と間違えて未だ攻撃をやめないように、古い自分が新しい自己に抗体反応を示しているかのようである。

去年9月のGoogleカレンダーを見返してみた。「シーツ洗濯出し」とか「県病」とかだけで、あとは真っ白だった。次に今年6月以降を見返す。退院後、人に会う予定をすぐさま埋めている。この時点ですでに無茶発進である。気がつけば体重は45kgを割り、体力も去年より落ちている。灯油ストーブをひっぱりだす腕も枯れ木のようで我ながら頼りない。薬の量が去年より増え、高額な点滴がたまに入るという憂鬱な現実もある。

それでもなんとか生きている自分に一方では感動する。たまに自転車に乗りながら感極まって泣いたりしている。山や空が美しいというだけでいちいち泣いたりする。これもいわゆる「感情失禁」のひとつかと思ったりする。

小さな点と点を結びながら、線をつないで形にしていくパズルのように、人生も開始点から全図を描くことは誰にもできないであろう。せいぜい数年後のおぼろげなスケッチを描くことくらいだとおもう。来年のことを話すと鬼が笑うというが、ちかごろは4ヶ月後のことさえ描けなくてCOCO'Sで苦笑したりする。カプチーノをすすりつつ「それでもいいじゃん」と思うようになった。

世のビジネス書はことごとくプランニングの重要を説くけれど、計画どおりに運ぶ人生などあるのだろうかと思う。もしあったとしたら、誰の人生がそうであったか。それは当人にとって面白いものであったか。あの世で誰かに尋ねてみたいとおもう。

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