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5年の逃避行を終えて

心とは場所である。もし心にも旅というものがあるとすれば、ぼくはずっと旅をしてきたような気がする。そして旅の終点にたどりついてみると、そこは5年半前にいた旅の出発点そのものであった。

今月17日、トップページのカウントダウンに「移植後5年生存、白血病完治」の文字が小さく表示されているのをすでにご存じの方もあるかもしれない。旧友から届くお祝いやメールをよそに、自分はそのとき何をしていたかというと、難治性口内炎の激化と痔という新たな病魔の襲来に打ちのめされていた。

「しおたに内科」で経口栄養剤と注入軟膏を処方してもらいながらぼくは5年半前、まさにこの場所から命を賭けた5年余におよぶ旅路が始まったのだという記憶を想起せずにはいられなかった。

「よくまあ生きてたね」と、ジョークとも本音ともいいかねる先生の一言に今では愛想笑いで返せる自分であるが、当時はまさに彼岸と此岸、死と生のグレーゾーンに身をおく今にも消え入りそうな、なんとも不確かな生きものであった。

弘前に帰ってきたばかりの当時、自分はまだ白血病であることすらわかっておらず、しばらく休養すればじき良くなるだろうなどという呆れた楽観ぶりであった。すでに東京では杏林大学の医師から「骨髄異形成症候群」の宣告を受け、余命5年とまで念押しされながら、唯一の治療手段としてすすめられた骨髄移植を断りつづけ、最後は通院すらやめてしまっていた。

骨髄移植をやるということは、それまで労苦して手に入れた東京での生活すべてを断念することと等号であった。デザイナーとして会社から独立して3年、やっと食えるだけの収入も見こめるようになり、三鷹での毎日に生きがい、働きがいというものをささやかなりとも感じ始めていた自分にとって、それはあまりにも辛い選択であったし、東京での仕事に専心することは死の恐怖から逃げ回る口実として実に都合がよかったのだ。

しかしその半年後、年度末にすべての納品を終えたあと高熱に倒れた。輸血を終えて帰宅したアパートのフトンのなかで、東京での生活すべてをあきらめる覚悟を決めた。こう描写するといかにもカッコよく映るかも知れない。しかし今思うとこれもやはり、ひとつの逃避でしかなかったのだ。ここから5年間の、長大な逃避行の道中を書き殴りつづけたのがまさに、ナラジンドットネットそのものだといえるかもしれない。5年間逃げることに専心できたからこそ、今ぼくは生きている。だから旅先で逃がし続けてくれた旅行人すべてに感謝してやまない。それはあなたのことだ

そして今、旅の終点かつ出発点に立った自分の前には、また新たな希望、新たな苦しみがみえる。しかし5年前と同じ風が、やはり告げるのだ。

「案ずるな。旅の風に身を任せよ」と

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